若々しい成熟 
城山 隆

 画面から「光」が消えた。幾度となく流される空恐ろしい光景をかき消すかのように。にわかには信じがたい衝撃映像−−超高層ビルに体当たりする航空旅客機−−が繰り返されたのち、それは起きた。崩落しはじめた超高層ビル。現場からそう離れていない路上で撮られた倒壊映像。画面は、一瞬、白にまみれ、次いで黒く閉ざされた。「大事な魂」をあまた呑み込んだまま姿を落としたニューヨークの超高層ビルは、灰塵となって蒼天を隠した。奪われた光。01年9月11日、ハイジャック機を用いた人類史上例のない同時多発テロによって、全世界に暗雲が垂れ込めた。
 
 同テロは、遠く日本でニューアルバムのレコーディングに着手したばかりの佐野をも襲った。
「あの事件をきっかけに、書いていた何曲かを捨てたり、書いていた何曲かに新たな視点を盛りこんだり、ソングライターとして見直す作業が始まったんです。9.11以降、表現者として自分自身がどういう落とし前を付けたいのか、という。9.11のことを歌うとかいうことではまったくなくて」。事件の約1年後の02年秋、佐野は雑誌インタヴューで筆者にそう語った。

 音楽作家として落とし前を付けるべく創作に沈潜し、前作《Stones and Eggs》から4年半余り、佐野は今世紀初となるニューアルバム《THE SUN》を着地させた。それはどこか「光」の連作集といった風情だ。警句的な〈国のための準備〉以外、歌詞ないしは曲名に「光の連鎖」を覚える。こんな風に。

〈月夜を往け〉= この道を照らしといてくれ
〈最後の1ピース〉= 星を道連れに
〈恵みの雨〉= 空には虹がかかった
〈希望〉= 晴れた日は 風を抱いて
〈地図のない旅〉= その目を閉じて 灯りを消して
〈観覧車の夜〉= 君と回る 回る 光の導くままに
〈恋しいわが家〉= 光の彼方に 満ちてゆく
〈君の魂 大事な魂〉= 陽はまた昇り 月がまた巡り
〈明日を生きよう〉= 光の中 君はいつも僕の the only one
〈レイナ〉= 心に光を集めて
〈遠い声〉= 光の輪を包む
〈DIG〉= 夜明けにたどり着く前に

 そして〈太陽〉。ある意味、万物の絶対神ともいえる太陽を隠喩しつつも、善導するかのような高慢さは露ほどもない。むしろ、9.11に対する表現者としての佐野らしい落とし前の一端に、真摯なアーティストの精神の核を知り、魂の格の高さを知る。

“God 夢見る力をもっと”
“あまりにも残酷なさよならがあって”
“気まぐれなあのひとがそこにたどりつけるように”
“愛しいあのひとがそこにたどりつけるように”

 皮相な善と悪の図式に究極の解答を見出そうと殺気立つ悲愴が蔓延るなか、善悪の尺度からは超絶した底光りを歌詞の節々に感じる。さらに、光がなければ影もないという因果律を喚起されもする。
 
 アルバム《THE SUN》自体が、まさに太陽そのものだ。幾筋もの光を思慮深げに放散している。音に溶け込み乱反射を企てる光彩が、目映い。そしてまた、佐野の若々しい成熟が、眩しい。ロックにおいて成熟は退化と同義語のように捉えられる嫌いがあるが、ロックンロールが生誕して半世紀、成熟しないロックはむしろ未熟というものだろう。成熟を往きてもなお涸れることなく、いかに瑞々しく在りつづけられるか。それこそが加齢に抗うロック的命題のひとつに違いない。佐野の、創作者としての軌道は、まだまだ頂を目指している最中だ。太陽は、中天を得たその時、最も強い光を放つもの。
 
 いかなる障壁に阻まれようと、影に魅入られることなく、太陽を見入る。視線を弾かれ、陽に灼かれた風に半身を反らされてさえ、二の足で立ち、「光」を求めてやまない。そんな印象のアルバム・ジャケットにも、青み渡る成熟を感知する。どこか神々しく、啓示的だ。アルバム・ジャケットという画面に、光が満々と在る。
 
 本作を聴く者の心眼に映じた「光」は豊熟な輝きとなって、他の光がもたらした影の数々を照らし灯すに違いない。