生と死 〜THE SUNに見る現代をサバイバルする力〜
樋口直哉

 ”遠く西側のどこかで ビルが崩れる音を・・・・・・”

 In Motion 2001から3年が経った。911の悲劇、そして それぞれの大義の元に行われたコマーシャルイズム溢れる 戦争。いろんなことが過ぎ去っていった。僕たちは安全な場 所に身をおいて、部屋の中で遠い声を聞いていた。時だけが軍隊の行進のように部屋の外で流れている。いつのまにか僕たちは多くのことを忘れてしまう。
 あらゆるものが通り過ぎる。ちょうど音楽が空に流れていって二度ともどらないように。僕たちはそんなふうに生きている。

 2004年、夏。佐野元春の新しいアルバム「THE SUN」がリリースされた。そこに見えるのはリアルへの強い意思だ。

 911の映像が流れたとき、何かが足りない、と君は思わなかっただろうか?そこには蒼天を隠す圧倒的な衝撃も、ビルが崩れる肉がはがれていくような音もあった。しかし、何かがそこにはかけている。それがリアルさを失わせる。どこか映画のワンシーンを見ているような気分にさせる。

 そこには死がかけていたのだ。

 たしかに圧倒的な映像ではあった。しかし死がかけていた。
だからそこにはなんの説得力も持たない。THE SUNの中に流れている生と死。『希望』に見る、女の子の父親になる30過ぎの男、『レイナ』の”子供たちは寝かしつけておいたよ”という珠玉のフレーズ。そしてタイトル曲『太陽』。光の中に僕たちは生を見る。生の充実を感じることができる。
 月や闇に代表される死のイメージ、『最後のワンピース』は英題が「At the end of the world」になっていることに注目したい。
 そんな死が支配する月夜でも、佐野は進むことを示唆している。『闇の中を潜り抜けて』『風の吹く場所で待ち合わせるのさ』と佐野は歌う。
 
 情報が溢れていると大人たちは言う。またある人はインターネットの普及で現実と虚構の区別がつかない子供たちにリアルな情報が必要だとうそぶく。しかし、子供たちに必要なのは大人になったらどうするかとか、どうなっているか、といういいかげんな社会の予測じゃない。未来の子供たちに本当に必要なものは『生と死』というリアルな情報だ。僕はけっして911の映像に死体を写せと言っているわけではない。それはただの悪趣味だ。『生と死』という人間の根幹に関わる情報を伝達するのはリアルな音楽であり、リアルなロックンロールだ。そして太陽を見つめて生きていくという強い生への意思だ。太陽の眩しすぎる光が影をつくったとしても。

 ”TheSUN”それは僕たちを分け隔てなく照らす。