ロックは嗜好され、思考し、試行し、志向する。
鹿毛不二彦

 いきなり個人的な話で申し訳ないのだが、40を過ぎれば色々な感覚が体から抜け落ちて行く。無感動になることが多い。かつてあれ程入れ込んでいたはずのロックミュージックですら(いや今も入れ込んでいるはずだが)右から左へ流れ過ぎて行く。どんなに多くの音源を耳にしても素直に感動出来るものは少ない。流行には無頓着になり、気がついた時にはただ昔を懐かしんでいたりする。強烈に感動したいと言う気持ちだけはあってもなかなかそういう願いは叶わない。自分の感覚が鈍っているのか、それとも僕の耳に飛び込んで来る音楽自体がそれなりのものばかりなのか?正直わからない。何ともネガテイヴ…。

 ロックという世界は良しにつけ悪しきにつけ、何ものにも束縛されない自由な精神世界を追い求めるところからスタートする。故に個人がごくあたりまえの日常的な重さを身に纏った時、今までロックに感じていたリアリティが急激に失われることすらある。初期の佐野元春風に言えば「生活というウスノロ」が知らない間に自分の中に入り込んでいるのかも知れない。ごく平凡に生きているということは、多分そういうことかも知れない。

 ここ数年の世の中の迷宮。それが様々な人の心に影響を与える。メディアから流し続けられるニュースに疲弊する。
 
 個人的には心待ちにしている新譜などというものも限られている中、約4年半ぶりにリリースされた佐野元春のニューアルバム「THE SUN」。リリース前に最初に届いたメッセージは「Let'sRock'nRoll」、次には「夢を見る力をもっと」。ロックは嗜好され、思考し、試行し、志向する。このアルバムには幾つかの変化(或いは進化)と普遍的な個性がバランス良く織り込まれている。例えば、楽曲に描かれているドラマは決してファッショナブルなものではない。但し、そこに描かれている主人公達(それは僕達自身である)は、うなだれている訳でもない。かつて僕達が「つまらない大人にはなりたくない」、「but it's all right」というフレーズを口ずさんでいた頃からすれば、身のまわりの風景は多少なりとも変わったかも知れない。社会との関わりの中で見いだされる“謎”…これを問いながら誰しも毎日をおくっている。快活なリズムとメロディーにのせて佐野元春自身もこの謎を歌い続けている。

 シリアスとユーモアが見え隠れする彼独特の世界に思わず聞き入る。唐突に佐野元春がローワン・アトキンス(Mr.ビーン)が好きだと言っていたことを思い出す。

「人生は時としてコメディ〜Life is a comedy」、「この世きすべてショービジネス〜everybody's in show biz」…と頭の中でいつか聞いた言葉を思い浮かべる。そんな連想ゲームが続く。人が生きている証として、無意識に望むもの。それは誰かを喜ばしたいという欲求。それは別に特化したエンタテイメントに限る話ではない。生活をするということ自体がそこにつながっているような気がする。例えば仕事をする。それは、本来単に金銭を得るためだけの行為にしか過ぎないかも知れない。だが、相手が本当に喜んでくれたなら、それだけで自分は納得出来る感覚を持つことが出来りする。誰かを喜ばせるために生きる。まあこれも人生の謎。時として人は自分が楽しければ周りがすべて楽しいはずだという論理を押し通そうとしてとんでもない間違いを犯してしまうことがある。だから究極のエンタテイメントとは、きっと意思疎通が出来ることだと思う。          

 TheHoboKingBandの演奏は、確実に進化している。最近、佐野元春が話題とする「jamBand」という形式に彼らはピッタリとあてはまっている。セッションワークから生み出された即興性を長舌になることなくまとめている。時としてロックというカテゴリーを超えて奏でられるサウンドは作品を強固に仕上げる。ビートルズ、ストーンズ、オールマンブラザーズ、フーターズ、クレイジーホース、ドクター・ジョン、フィル・スペクターetc…あまたの音楽のエッセンスを勝手に想起する。とにもかくにも、歌と楽器の絶妙なる会話が聞こえて来る。

 「夢を見る力をもっと」…シンプルで素晴らしいフレーズだ。今、長いスタジオワークからリリース(解放)されたアルバムを聞き、自分の心もリリースされているのを感じている。そして嬉しさのあまり頭の中が少々混乱している。