2013年3月13日発売

佐野元春15作目の新作『ZOOEY』言葉のうちに命が宿っている。

コーナータイトル

ザ・コヨーテ・バンド・ストーリー (2005年 - 2013年)

【星の下 路の上】

 すべてのはじまりはここにあった。2005年秋。佐野が声をかけて一同がスタジオに集まった。Gui. 深沼元昭(Mellowhead)、Dr. 小松シゲル(Nona Reeves)、Bass 高桑圭(Great3)。これまでライブにレコーディングに活動を共にしてきたザ・ホーボーキング・バンドを離れてのセッションだった。『星の下 路の上』を含む計3曲が新たにレコーディングされた。ザ・ホーボーキング・バンドは確かにすばらしいバンドだ。佐野元春の多様な音楽性を実現するにはよほどのプレイヤビリティーの高さが要求される。ザ・ホーボーキング・バンドは、佐野によって指名された、国内有数の腕利きミュージシャンが集まったいわば職人的ミュージシャン集団といっていい。その成果はアルバム『THE SUN』(2004年)に結実した。このアルバムで披露された内容は、音楽面からみても演奏面から見ても同時代の他の作品に比べて突出している。それはライブパフォーマンスにも同じことが言えた。佐野元春の30周年を記念したコンサートツアーでは、佐野元春の楽曲をベースに、ブルース、ロック、フォーク、R&Bなど多様な音楽性をみせつける、3時間にわたる見事なロックショーを展開した。佐野はこの30周年アニバーサリーツアーを終える頃には、長年にわたるそのザ・ホーボーキング・バンドとの共同作業は十分すぎる程の成果を残したと感じていた。しかし佐野は次第にそのザ・ホーボーキング・バンドとの作業とは別に、新たなロック表現を模索し始めていた。佐野にとっての未知の領域。80年代のザ・ハートランドでもなく、90年代のザ・ホーボーキング・バンドでもなく、全く新しい概念を持ったバンド。今とこれからを鳴らす、若くて強力なコラボレーターを探しはじめていたのだ。

【コヨーテ・バンド初見参】

 2006年4月2日。東京国際フォーラム。その夜のオーディエンスは誰もが度肝を抜かれた。HKBとのライブが終わった直後、佐野からステージに呼び込まれた3人の若者がいた。彼らこそがその後発展するコヨーテバンドの中核メンバーだった。佐野を含むバンドは耳をつんざくような爆音で楽器を鳴らした。曲は「星の下路の上」。ライブの直前にレコーディングした曲だ。HKBの演奏に耳慣れた観客は彼らの若々しく荒々しい演奏に茫然と立ちすくむしかなかった。しかし演奏が終わり佐野からバンド名が告げられた頃には、大きな拍手とともに、いつもの熱狂が戻っていた。バンドからの無言の挨拶を受け取った観客の何人かは、これが佐野にとって、何か新しい始まりであることを直感した。

【アルバム「COYOTE」誕生】

 2007年、アルバム「COYOTE」レコーディング。「コヨーテ」と呼ばれる、あるひとりの男の視点で切り取った12篇からなるロード・ムービーであり、その映画の「架空のサウンド・トラック盤」という想定で作られたコンセプト・アルバム。佐野元春14作目にあたるスタジオ・レコーディング作品。セッションに、Gui. 深沼元昭(Mellowhead)、Dr. 小松シゲル(Nona Reeves)、Bass 高桑圭(Great3)が参加。ビート詩人としての圧倒的な個性、メロディーメーカーとしての卓越した才能に、滋味を増したボーカルが、作品全体に圧倒的な説得力を持たせている。1曲1曲の完成度が高く、すべてシングル曲のような粒ぞろいの曲が並ぶ文句なしの傑作。リード・トラックのM2「君が気高い孤独なら」、自身の伝説的なDJ番組を回顧した「ラジオ・デイズ」、7分に及ぶ大作、M11 「コヨーテ、海へ」など、佐野のシンガー・ソングライターとしてのひとつの到達点がここにある。このアルバムは、80年代の『サムデイ』『ビジターズ』、90年代の『スウィート16』『サークル』、00年『THE SUN』と並ぶ佐野の最高傑作のひとつであり、ロック史上に残るエバーグリーンなマスターピースである。

【全国ライブハウスツアー『COYOTE』】

 その後、2009年7月。佐野とバンドは、アルバム「Coyote」をひっさげて全国のライブハウスサーキットに出かける。北海道から沖縄まで、こうした小さなハコでのライブツアーは佐野のキャリアでは初めてのことだった。そこには理由があった。佐野はバンドを真のバッキングバンドとして発展させたかったのだ。しかしそれにはまだ、佐野と一緒にステージを踏む経験が乏しく、演奏のレパートリーも少なかった。この全国ライブハウスサーキットは、言ってみれば、佐野とバンドにとって鍛錬の場となった。

【全国クラブ・サーキット・ツアー
『ソウルボーイへの伝言』】

 2010年10月から12月にかけて、コヨーテバンドによる二度目のライブハウスツアーは全国のzeppで行われた。全国クラブ・サーキット・ツアー『ソウルボーイへの伝言』。このツアーの成功後、佐野は新作アルバムの制作に取り組むのだがその際、バンドにもう一人のギタリストを加えたいと提案。深沼の勧めで新たに藤田が参加することになった。これまで佐野が得意としていたサクソフォン、キーボードを主体としたR&B寄りのロックサウンドから、新たにギターを中心としたギターバンド寄りのサウンドへのチャレンジである。

【全国ZEPPツアー『2012アーリーサマー・ツアー』】

 2012年6月から一ヶ月間、新体制となったコヨーテバンドによる三度目のツアー。「2012アーリーサマー・ツアー」。ツアーも終盤にさしかかったある夜。そこは沖縄那覇市にあるライブハウスだった。佐野はバンドに唐突な要求を突きつけた。ショーの前座をコヨーテバンドに任せたいと言うのだ。それを受けて、高桑は自分のソロユニット、カーリージラフで、深沼は藤田と組んでメロヘッドのレパートリーを、渡辺はドラムベースをバックにピアノロックを披露した。ライブハウスに集まった観客は突然のハプニングに狂喜。初めてみるコヨーテバンドの面々によるパフォーマンスに熱い声援送った。佐野の目論見は見事に当たった。この突然の冒険的な演出は、結果多くの実りを残した。バンドは佐野のバッキングバンドとしての自信を強め、また観客にはこのバンドには佐野以外にも優れたシンガー・ソングライターが3人もいることを見せつけた夜となった。

【全国ホールツアー『2012-2013ウィンター・ツアー』】

 アーリーサマー・ツアーでの成功を受けて、佐野元春はこのバンドと共にさらに高みへと駆けあがる時がきたと判断、バンドにとって初の全国ホールツアーを敢行した。2012年12月から翌年2月までの全国ツアー『2012-2013ウィンター・ツアー』。これまで各地のクラブ・サーキットを通じてバンドとしての結束を強めてきたコヨーテバンド。このツアーでは演奏のレパートリーも増え、佐野のクラシック曲はコヨーテバンドによって新たな命が吹き込まれた。かつてのザ・ハートランドとも、ザ・ホーボーキングバンドとも違うサウンド。伝統を引きつぎながらも新しい解釈を加えて、彼らはついにオリジナルなサウンドを獲得したのだ。このメンバーだからこそ成しえた収穫と言える。また、このツアーでは、18歳以下を無料とするキャッシュバックのサービス「U18 for free」を敢行、大きな話題を呼んだ。日本では、新旧の広い世代が集うロックコンサートは少ない。しかしやり方によっては、成熟したロックがこの国でも確かにサバイバルできることを、佐野元春は身をもって証明し続けている。

【アルバム『ZOOEY』誕生】

 2012年夏、途中ツアーで中断していたレコーディングが再開、アルバム『ZOOEY』が完成。バンドとしてのアイデンティティが確立した重要なアルバムとなった。このアルバムでは、実験的でありながらポップであることをはずさず、80年デビュー以来ずっと探求している言葉と音楽の関係をさらに更新している。佐野元春とコヨーテ・バンドにとって、『COYOTE』(2007年) に続く、2枚目のオリジナル・スタジオ盤となった。