2013年のラブソング
川口美保

 2010年だから、もう3年前になる。佐野元春から1曲の未完成の曲が手渡された。私は「ソサエティ」という仮タイトルのついたその曲のことがずっと印象に残っていた。

 歌は、「人間なんてみんなバカさ」という挑発的な言葉からはじまった。経済発展を優先させたゆえの環境汚染や世界に力を誇示するための権力者たちの争い、そんな人間の愚かさを繰り返し歌い、そして、こう続いた。

「生き残ったって嬉しくないのさ/君と一緒でなけりゃ」

 それまでの言葉がラディカルであればあるほど、この一節が愛おしく胸に響いた。曲は未完成ゆえの揺らぎと生々しさに溢れ、そんな複雑で不安定な時代の中で生きているというどうしようもない事実を突きつけると同時に、それでも「君」と一緒に生きたいという強い想いを伝えてきた。私はこの未完成の曲を聴きながら、どんな未来に「君」と生きたいのか、「その先」を心に思い描いた。

 そして今年、佐野元春からニューアルバム『Zooey』が届いて、その「ソサエティ」が「君と一緒でなけりゃ」というタイトルとなり、力強く鳴り響いているのを聴いた。

 ああ、あの時の歌だと思った。だけど、あの時の歌は、もうあの時のようには聴けないと思った。この間に、私たちは東日本大震災を経験した。とても言葉にはできない哀しみとともに、生きることの意味を問い直し、そして露呈した日本の政治や社会の有り様に、ハッキリと目を開かされた。

 思い描くだけではもうダメだ。「人間なんてみんなバカさ」という言葉はもっと切実な心の叫びとしてここにあり、「生き残る」という言葉は胸をかきむしられるような思いとともにある。そして「君と一緒でなけりゃ」という言葉を、今、自らの生かされた命に刻むような思いで聴いている。

 2013年の3月、私はこのアルバムを聴く。すべての言葉が、鳴らされる音が、そこで放たれる衝動がヒリヒリとしたこの時代に重なり、しかし、やはりその時に、ふたたび、君への愛おしさが浮かび上がってくる。大きな権力や見えない社会の裏側は存在している。私たちはいまだ解決できていない様々な問題の中にいる。だけど、だからこそ、もっともっと愛の歌が聴きたい。もっとも身近な「君」とともにいる時、本当に、世界は変わる。日常の中にあるその小さな奇跡を信じる力を、私はこのアルバムから痛いほどに感じ取った。

 愛する、愛される。一人ではできないこと。
 誰かとでなければ、作り得ないもの。

 そうやって、ずっと、人間は営みを続け、命をつなぎ、未来へ歩んできた。

 佐野元春のこのアルバムを聴くということは、まるで、私たちの「生」の原点を確かめるようなことだと思った。だから、あの日聴いた未完成の歌よりも、このアルバムは、もっともっと生々しく響く。

 そしてそれこそ、2013年にもっともふさわしい、究極のラブソングではないかと思ったのだ。