Zooey 随感
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 佐野元春の新作が出た。

 いい音を届けたい、って、元春師はおっしゃった。

 彼が折に触れてそう言うものだから、わたしは音を聴くことに丁寧に気持ちを向けるようになった。

 なんて美しい音なんだろう。

 素人のわたし、ちゃちなポータブルデッキ。

 だけど。

 まるで、一本一本のお花を綺麗に組み合わせて一つの花束にしたみたいに、音が美しく重なり響き合い寄り添い合っている。

 大きな音が苦手なのに、試しにいつも聞いてはあきらめるのに、ちっとも大きく聞こえない、耳に吸い込まれるようで、聴き終わった後の残響で、大きな音だった、って気が付いた。

 彼は言う。

 上質のメロディーに上質の言葉を乗せてご機嫌なポップソングを、僕はつくりたい。

 わたしはいつも、 うん、ごきげんだけど..彼はちょっと、アーティスティックインプレッション 9.9とか10.0とかなのよネ...って、感じていた。

 ポップソングって、わからないけど、大衆的、演歌だとか情緒に訴える部分が、うんたら..なんて、私は密かに分析を繰返していた。

 彼のこの度のアルバムは、ポップはもちろんなんだけど、ポピュラーミュージックとして成功している、ナンテ、素人で Fan、ひいき目、欲目たっぷりの大衆的なわたしは感じる。

 きちんと「大衆向け」を満たしているのは、とりもなおさず、かどうかはわからないけれど、彼の意図なのかそうでないのか、感覚に合った時点で目指したものであったのか、しれないンだけど、COYOTE BAND さん達であったことに依る部分も大きいのじゃないか、って想う。

 みずみずしくて、ヴォーカルに寄り添う優しい彼らの繊細な音達は、今の若い人達の心を自然に映しているのだろう。

 あんまりよくはわからないのに言ってはいけないんだけれど、ぶつかりあって調和をとっていく感じのする HOBOKING さん達と違って、お互いを尊重って言うか聴き合って全体のまとまりに入ろうとする、みたいな印象がする。

 彼らは優しい今どきの人達で、素人の放題で言わせて頂くなら、間違いなく、次の主流の人達だろう!

 Coyote 達になるといいのになぁ、と想う。

 元春師の言葉は今回、少し変わったかな、って思う。

 いろんな方の評論、感想を読んで、その理由も少しはわかった気もする。

 とりあえず、それが彼の言葉の響き方の幅を拡げた気がするし、ポップでありながらちりばめられた感覚の豊かな煌めきの芸術性に、私はおもわずためいきをついてしまう。

 大衆向きにこんなに芸術的を...どんな技なのかしら。

 ふんだんに元春さん色を入れぜいたくにこれでもかって惜しみなく元春さんの技量を精一杯、使わないことも含めて注ぎこみきって、まるで余裕みたいにつくられた、なんて音の豊かなアルバムなのだろう。

 それが音としてきれいに十分に響いてくる、耳触りよく耳に吸い込むみたいに。

 ヴォーカルは技術的でありながら非常にポップで、元春さんは自由自在にポップソングを、Make、しているンだけど、元春さんでありながら元春さんじゃない、みたいな、わたしは、とても感動しているし不思議で、すてきなお歌達って、とってもとっても想ってしまう。

 元春師の描く彼の世界には、系譜と彼の呼ぶ分類があるみたいなんだけど、聴き手が受け取る彼の世界もあって、映像を伴わないことの多い抽象、言葉、概念によって構築され、メロディーという叙情、感情、Beat 人間のそのものに響くけれど具体を持たないものによって形作られたそれは、個人によって、きっと受け取っているものは違っているのだけれど、LAND、ずっとずっと読みたい続き物のお話みたいに彼の世界は在って、意図的にせよそうでないにせよ、彼はそれを描き続けている。

 そして彼は、そのお話に、それをイメージできる手掛かりとして、できる得る限りの具体をくっつける。彼を想わせるもの、歌を想わせるもの。

 私たちは本当に喜んでそれを受け取る。

 偶然から生まれるその成り行きに神様をみている、って彼は.....そんな言葉ではなかったケレド、大切にしている、っておっしゃった。

 それは聴き手との間にも当然生まれるもので、それがどう響くかは個々に寄るのだと想うンだけど、とりあえずわたしにはそう響いて、ずっと、佐野元春、を大切に聴いて来た私にはそう響いて、いろんな沢山の人の心に、すてきに、このまっすぐな(言葉、抽象でありながら)軽やかな柔らかな元春さんのポジティヴ溢れる暖かなポップソングが、響くとイイノニ...って、ずっと歌ってほしい、沢山の人に、そして、もっとあなたの歌を聴きたいなぁ、私は、って願うよくばりな、まさに、すぐに続きを望む Fan の一人で、ごめんなさい、と、おもうンである。