近寄りがたい、と人は言う
Mitsuhiko Kawase

 時速100キロをわずかに下まわる速度で、多摩川トンネルを、彼女のステーション・ワゴンは通過した。インストルメント・クラスターに表示された情報によれば、外気温は37度に達していた。街の上空は高気圧に覆われ綺麗に晴れてはいるものの、南から流れ込む湿った空気の影響で湿度はきわめて高く、路面は白くかすみつつゆらめいているようだ。

 彼女はラジオをオンにした。アンカーウーマンが読み上げる何本かのヘッドライン・ニュースを、彼女は聞くともなく聞いた。すべてのニュースを聞き終えての彼女の感想は、なんてこった、というひと言に集約された。彼女はメディアを CD に切り替えた。シナトラの歌う「サマー・ウインド」が、車内に再生されはじめた。

 有明ジャンクションを、彼女のステーション・ワゴンは左に分岐した。林立する高層ビルディング群が、夏の午後の強い陽射しを受けとめている光景を、正面のガラス越しに、彼女は見た。前方には、全長798メートルの吊り橋が、まっすぐにのびていた。アプローチをぬけ、彼女は橋にさしかかった。ごく緩やかな上り勾配なのだが、空に向かって走っているような錯覚があった。上りきったスロープの頂点から、下方の蒼い運河と街を、彼女は見下ろした。

 橋を渡りきり、芝浦埠頭の頭上を抜けていく右カーヴに、わずかに減速しつつ、彼女は入っていった。カーヴのまんなかで、彼女は小さな閃きを得た。インストルメント・クラスターにディジタル表示された37度という、いまは単なる情報でしかない気温を、自分は全身で受けとめるべきではないか、という閃きだ。体感することこそが正しい、と彼女は思った。そしてひとり美しい笑顔になった。すべての窓を、いっぱいに降ろした。海から吹いてくる夏の風が、後ろで束ねた彼女の髪を揺らした。目もと涼しく、笑顔やさしく、彼女はカーヴを抜けていった。


 B面の最後の曲「東京スカイライン」。24行からなるこの詩は、本当に素晴らしい。詩人としての佐野元春の真髄がここにある、と僕は思う。具象から抽象へ。叙事から抒情へ。遠景から近景へ。詩人の視点は、自由に往き来する。詩を読んだ、あるいは曲を聴いた僕は、あるひとりの架空の女性について、思いをめぐらす。街に暮らしている、40代なかばの、独身の、美しい彼女。カーヴを抜けて、そして彼女はどこへ向かっているのか。彼女は明日へ向かっている。明日が来るかどうかは、彼女にとって問題ではない。待っているだけでは、日が暮れてしまう。