01 | 初の全国ツアー「Welcome To The Heartland Tour」
1982 -1983



 1982年1月、スタジオ・ミュージシャンとしてアルバム『SOMEDAY』そして『ナイアガラ・トライアングルVOL.2』のレコーディングに参加した西本 明が正式にザ・ハートランドに加わることになり、伊藤銀次、古田たかし、小野田清文、ダディ柴田、阿部吉剛、西本 明というザ・ハートランドのオリジナル・ラインアップが決定した。

 同年2月、渋谷公会堂を皮切りに、7月の松本社会文化会館まで、全国40カ所を回る「ウェルカム・トゥ・ザ・ハートランド・ツアー」が行なわれた。このツアーではそれまでのルイードなどのライヴハウスでのステージとは異なり、全体的な構成やステージングも着実に進歩していた。ラフなおしゃべりと曲が交互に繰り返されるというスタイルではなく、“演奏を聴いてもらう”という姿勢がはっきりと打ち出された演出がされていたのだ。佐野の書く作品の中にあるいくつものイメージ・フラッシュをより効果的に聴衆の心に広げていくため、彼はなるべくメドレーという形式を使って、ひとつの大きな流れとしてコンサート全体にストーリー性を持たせようとしていた。 

 当時はまだ全国をサーキットするロック・コンサートのシステムが確立していなかった。ライブ・ハウス級の全国コンサートを行なうバンドはいくつかあったものの、ホール級での全国ツアーを敢行するバンドは、佐野元春 ウィズ・ザ・ハートランドが初めてのケースとなった。

 地方プロモーターとの連動、コンサート・プロモーション、チケットの販売方法、ローディーの導入、音響や照明、ステージ演出など、佐野と彼のスタッフは試行錯誤の末に、その後のロック・コンサート・システムのひな形を作ることに成功した。

 佐野元春 ウィズ・ザ・ハートランドのコンサートは、それまでのニュー・ミュージック、ポップス系のコンサートとは明らかに違っていた。大音量とともに繰り広げられる熱狂的なパフォーマンスは、たちまち全国のキッズたちの噂となり、TVなどメジャーなメディアにほとんど露出していなかったにもかかわらず、どこのライブ会場でも佐野のライブをみたいというテイーンたちで溢れかえっていた。その様子を見た誰もが、コンサート・ビジネスの新時代が到来したのだと確信した。

 この「ウェルカム・トゥ・ザ・ハートランド・ツアー」は、スリルに満ちた……それでいて聴衆とのグッド・コミュニケーションが築かれていったツアーだった。こういったツアーが続けられたのはスタッフやメンバーと佐野元春が絶対的な信頼によって結ばれていたからである。

(下村 誠)



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