「なだれ込む」感覚に取り憑かれて
栗本 斉

 佐野元春はいつだってロックンロール・スターだ。今回、新作『MANIJU』を聴きながら、あらためてその思いを強く噛みしめた。

 小気味よいカッティング・ギターから始まる冒頭の「白夜飛行」は、タイトながら広い空間を想起させるバンド・サウンドに乗せたみずみずしいロックンロールの傑作だ。そしてすかさず、まるでザ・バーズが21世紀に復活したかのようなソリッドなフォーク・ロック・サウンドとともにシニカルに歌われる「現実は見た目と違う」へと、必然的になだれ込んでいく。そう、僕がいつも佐野元春のアルバムを聴きながらグッと来てしまうのは、この「なだれ込む」感覚があるからだ。

 思えば、僕が初めて耳にした彼のアルバム『No Damage』では(オリジナルではなく編集盤ではあるが)、「スターダスト・キッズ」から「ガラスのジェネレーション」へとつながる勢い良さに心を鷲掴みにされた。その次に聴いた『VISITORS』でも、「COMPLICATION SHAKEDOWN」の強烈なラップと、「TONIGHT」の切ない疾走感との絶妙なコントラストに、カウンター・パンチを浴びせられた気分になったものだ。その後のどのアルバムにおいても、この「なだれ込む」感覚は常にあり、まさにその部分が佐野流ロックンロールを感じさせる要素の大きな理由なのだと思っている。

 この観点でザ・コヨーテバンドを率いてからの『COYOTE』、『ZOOEY』、『BLOOD MOON』といった近作を聴き直してみると、この「なだれ込む」感覚はどんどん加速しているように感じられる。軽快で疾走感があり、緻密ながらも衝動的な気持ちを忘れない。そういった感覚が、例に漏れず『MANIJU』の冒頭にも落とし込まれていることは見事としかいいようがないし、そんな風に冷静に分析するまでもなく、猛烈に心を動かされるのだ。そういった意味で『MANIJU』は、王道路線をキリッとブラッシュアップした作品である。

 そして、ロックンロール・スターならではの、勢いに溢れながらもシニカルな言葉の使い方も健在だ。本物の聖者と見せかけの聖者を対比させ、ブルドーザーとシャベルを持って押し付けるあの人に耐える君を思いやり、心が通じないひともいるんだよと嘆き、ヒトとヒトが殺し合う世界を憂う。ストレートに突き刺さるメッセージもあれば、行間を読んで各自が解釈するフレーズもある。もちろん、美しいセンテンスを綴ったラブソングもある。しかし、いずれにしても、ただたんに言葉を羅列するのではなく、メロディやバンド・サウンドと一体化して聴く者へと届けてくるのだ。そこが、佐野元春がただの「詩人」ではなく、音楽の魔法を信じる「ビート詩人」たる所以なのだろう。このことも、彼はデビュー以来ぶれることは一切ないし、さらに研ぎ澄まされているように感じられる。

 とにかく、『MANIJU』を聴きながら、僕は何度も「なだれ込む」感覚に取り憑かれ、ビートに乗せた言葉が生み出す世界にのめり込んでいる。そして、ティーンエイジャーの頃に夢中になったロックンロール・スターが、今なお自身のハードルを上げ続けていることに驚愕し、いつも以上にフレッシュで聴き応えのある傑作を届けてくれたことに、あらためて感激している。