01:伊藤銀次 前編

「東京の片隅のこのスタジオでこんな素敵なアルバムができたことを、世界中は知っているのかな?」と彼は言ったんです。



::::::::ザ・ハートランドのメンバーが固定したこともあって、シングル「サムデイ」以降はレコーディングのスタイルが変わりましたね。

小坂 ええ。「サムデイ」の場合、僕の記憶では、まず六本木のマグネット・スタジオに佐野君がひとりで入り、デモ・テープを作って、それからバンドと一緒にスタジオでリハーサルして、その後にレコーディングする、という手順だったと思います。バンドで実際にプレイしながら音を作っていくことができるようになって、佐野君の頭の中で鳴っている音をより正確に再現できるようになったわけです。

::::::::当時のレコーディング・スタジオの中でのエピソードを教えてください。

小坂 具体的にはよく覚えていないのですが、佐野君は相変わらず消火器に向かって歌っていたと思います(笑)。

::::::::消火器?

小坂 いや、なんとなくマイクに似ていると思ったんじゃないかな(笑)。それから、佐野君の頭の中で鳴っている音像は通常の楽器では再現できないものが多いので、いろいろなものを楽器として使いました。たとえばスティックとドラムでは再現できないので、文鎮でレザーのソファーを叩いたりしましたね。だから『SOMEDAY』には楽器以外の音もいろいろ入っているはずです。

::::::::アルバム『SOMEDAY』のレコーディングは順調に進んだのでしょうか?

小坂 順調といえば順調かもしれないけど、やはり時間はかかりましたね。毎日、徹夜でレコーディングしていましたが、途中で『ナイアガラ・トライアングルVOL.2』に何曲か持っていかれたこともあって、録っても録っても終わらない感じでした。佐野君自身はもちろん大変だったんだけど、銀次さんも大変だったんじゃないかな。『SOMEDAY』のレコーディングでは銀次さんがいちばん活躍したと思いますよ。音楽的なサポートだけじゃなくて、銀次さんの精神的なサポートが佐野君にとっては大きな力になっていたはずです。まるで本当の肉親のような、献身的なサポートでした。

::::::::ヘヴィーなレコーディングだったようですね。

小坂 ええ。毎晩が朝方までのレコーディングで、それはもう本当にヘヴィーだったけど、それでも毎日が充実していました。自分たちはいま最高のアルバムを作っているんだ、という充実感がありました。ただ、とにかく長いレコーディングだから、僕は途中で帰りたくなるんですよ。そうすると佐野君が自動販売機で缶ビールを買って来て、僕のところに持ってくるんです。「小坂さん、これがあれば帰らないでしょ?」って。酒を飲ませておけば機嫌がいいと思われてる(笑)。

::::::::レコーディングでの小坂さんの役割は?

小坂 僕はレコード会社の人間だから、セールスのことを考えないわけにはいかない立場だったので、基本的には「よりポップに」という方向での意見は言いました。僕と佐野君がぶつかることもあったし、銀次さんと佐野君がぶつかることもあったけど、ベストのものを作る、という目標は同じですから、前向きの建設的な衝突だったと思います。そういう意味でも、佐野君と銀次さんと僕、という3人のバランスはよかったんじゃないでしょうか。ふたりが熱くなっていたとしても、ひとりは冷静でいられたから。それから、吉野金次さんもいてくれたし、良いチームだったことはたしかですね。

::::::::「シュガータイム」の歌詞についてのエピソードはよく知られていますが……。

小坂 ええ。最初はまったく違う歌詞でした。たとえばストーンズみたいなタイプの辛口の歌詞だったんですよ。でも、曲はとてもキャッチーだったから、もう少しポップな歌詞に変えることはできないかな、と思ったんです。これについてはかなり議論した記憶がありますが、最終的には佐野君が納得して書き直してくれました。でも、新しい歌詞が予想以上にポップだったので、僕と銀次さんはかなり驚きましたね。

::::::::他の曲でも同じようなエピソードがありますか?

小坂 実は「サムデイ」の歌詞は当初“「手おくれ」と言われても”から始まっていたんです。“街の唄が聴こえてきて”という歌詞は最初のヴァージョンにはなかったんですよ。そのときには唐突な印象があったので、“街の唄”の一節が生まれたわけだけど、“手おくれ“から始まったほうが良かったのかな、と僕はいまでも考えることがあります。

::::::::『“SOMEDAY”Collectors Edition』の印象は如何でしたか?

小坂 古いとか新しいとかいう次元を超えて、良いアルバムだな、と改めて思いました。その後、僕は他のアーティストも手掛けてきたけど、こんなアルバムは他の誰にも作れない。最近は新人の音源を聴く機会が多いのですが、佐野元春のような人はもう二度と出て来ないでしょうね。このアルバムの最後のレコーディングが終わったときの佐野君の言葉が印象的でした。「東京の片隅のこのスタジオでこんな素敵なアルバムができたことを、世界中は知っているのかな?」と彼は言ったんです。たしか朝の5時か6時だったと思います。ちょっと感動的でしたね。



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