佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『HAYABUSA JET I』『HAYABUSA JET I』を巡るテキスト

過去と現在を繋ぎ未来へと続ける「約束の橋」

今井智子

 楽曲を”再定義”するとはどういうことだろうと思いながら『HAYABUSA JET l』を聴いた。ザ・コヨーテ・バンドと共に新たにレコーディングされた10曲は全て20世紀に発表されたもので、そのうち7曲はシングル曲。つまりこの作品は佐野元春が20代から30代の時期に書いた代表曲集でもある。それをデビュー45年になる佐野が、そのキャリアに裏打ちされた情感豊かな歌を聴かせ、結成20年を迎えるザ・コヨーテ・バンドの円熟味を感じさせる演奏とひとつになれば、既発のものとは違う楽曲になるのはいうまでもない。だが新たなアレンジで演奏するだけでなく改題もして新録音した本作には、それ以上の何かがある。

 リ・アレンジでのセルフ・カヴァー集は、ある程度キャリアを積んだアーティストなら作って当然だ。佐野も30周年を迎えた2011年にアニバーサリー作品『月と専制君主』を、2018年には『自由の岸辺』をリリースしている。この2作はシングル以外の曲をチョイスしているのだが、今回は前述の通りシングル曲中心だ。過去の2作が、いわば埋もれた名曲をリニューアルして再発見を促すといった作用があるとすれば、今回は多くの人に親しまれている曲を一新するだけでなく、”元春クラシックス”に新たな意味合いや存在意義をも持たせようというのが目的なのではないかと思う。

 セカンド・シングルだった「ガラスのジェネレーション」は、歌詞の一節「つまらない大人にはなりたくない」が新たなタイトルになった。大人への反発をバネに成長する若々しい思いを感じさせる曲だが、この曲のテーマはこれなのだと新しいタイトルが伝えている。発表された時から曲のテーマがそれであることは明白だったが、敢えて改題することでストレートなメッセージ性を感じさせる。大人になっても「つまらない大人になりたくない」と若い頃と変わらない信念を持って生きていこうと言う新たな決意表明のようだし、若い人たちへのエールでもある。「君はどうにも変わらない」の一節は、わがままな恋人ではなく頑迷な大人たちを思わせ、いま世の中を動かしているそんな大人たちの轍を踏まないでくれと訴える曲に聴こえてくる。華やかで落ち着いたロック・チューンの中に以前と変わらない熱を込めて佐野は歌い掛けることで、”再定義”とは、そういうことだと思わせてくる。

 「自立主義者たち」とタイトルが変わった「インディビジュアリスト」は、鋭い調子で鼓舞するオリジナルとは対照的に柔らかな感触の歌と演奏で穏やかに呼びかけてくる。ソウルフルなサウンドにレゲエのビートが重なり、また「新しいDance、新しいTalk」が生まれていく。誰かと手を取り合って踊っていても、それぞれは自立した存在なのだ。「個人主義者」と訳されるワードを「自立主義者」としたのは、自立すなわち自分の力で立ち進んで行くという基本的で重要な姿勢を示したいからだろう。壁を作って孤立するのではなく周囲と協調して自立していれば大丈夫だ。「風向きを変えろ」というフレーズは固定観念を捨てて自分の行動や気持ちを変えてみろと言っているように思えてくる。そもそもそういう歌だったと、目からウロコが落ちる思いがした。

 ”再定義”を最も感じた曲が「君をさがしている」だ。セカンド・アルバム『Heart Beat』収録曲でライヴでは人気が高いがシングルにはなっていない。”君”をさがして夜の街を彷徨うこの曲は若々しい焦燥を感じさせる曲だ。けれど”再定義”された曲の主人公は、夜のマンハッタンを彷徨う若者ではなく、子供を探す母親や父親、親を探す子供たち、親しい人の姿を求める人たちなど、様々な情景を想像する。今は世界中で災害や戦火、またいろいろなことで会えなくなっている人を探している人たちがいる。もう会えないとわかっていても、夢でもいいから再会が叶うものならと思う。ザ・コヨーテ・バンドの腰の据わった演奏と佐野の抑制の効いた歌が、決してあきらめないという意思を感じさせる。曲が喚起する情景や感情が聴くものの状況や時代によって変化するのは当然のことだが、時代や状況の変化に対応して聴き手の想像を受け止める力を曲が持つことが”再定義”なのではないかと思う。大人になった私はこうした感想を持つけれども、この曲が素敵なラヴソングなのに変わりはない。恋しい人との再会を願う時は、これからもこの曲が口ずさまれることだろう。

 ”再定義によって曲のイメージが広がるのは、その曲が時代を超えて人々に伝わる力を持っているからだろう。時代を超えて人々に伝わる曲を”エヴァーグリーン”と形容するが、”元春クラシックス”には言うまでもなくそうした普遍性がある。”エヴァーグリーン”だからこそ”再定義”によって与えられた新たな力を曲が発揮するのだ。本作の最後を飾る「約束の橋」にはそんな力を感じる。「君をさがしている」で描かれる夜のとばりを七色の橋が照らしてくれるかのような流れだ。どんな状況であれ希望を持って進もうと、この曲はいつでも勇気づけてくれる。「君をさがしている」だけでなく本作で”再定義”された10曲を受け止めて未来へと共に進もうと呼びかける。

 佐野は現実を冷静に見据えて時には警鐘を鳴らし誰かの不在に心を痛めることもあるが、未来への希望は持ち続けようと歌う。殺伐とした空気が世界中に漂う2025年に、改めて佐野はそう呼びかけるために”再定義”したのではないだろうか。デビュー45年を迎えた佐野だからこそ可能だったこの”再定義”は、過去と現在を繋ぎ未来へと続ける「約束の橋」なのかもしれない。