佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『今、何処』『今、何処(Where Are You Now)』と『ENTERTAINMENT!』を巡るテキスト

大事な魂の話をしよう、今こそ

青澤隆明

 すべては魂の問題だ。つまるところ、あらゆることはここにかかってくる。佐野元春からの「真新しい世界へ」の呼びかけに、聴き手の心はきっと自由に答えるだろう。それは、魂を謳うロック。しかも、スピリチュアルななにものかよりも、もっと生の実感、さまざまなライフの経験をもったそれぞれの心の話なのだ。

 「なにも変わらないものはなにも変えられない」。1987年の佐野元春はそう痛烈に言いきった、「風向きを変えろ」と。あれから35年がめぐって、いま風は――つまり時代は――さらに閉塞し、不気味に停滞し、誰もが窒息しかかっている。イエスでもノーでも、光でも闇でもなく、すべては曖昧で、未解決のままだ。しかし、ほんとうのところ、それこそが人生の実感なのではないか。稀代のソングライターの成熟は、そのことを存分に明かしている。そのように街に生き、風に揺れる人々を省察し、明快な筆致でスケッチしてみせる。

 『今、何処』と問うこの新作には、新しいうねり、痛快なグルーヴがある。生の脈動と、ある意味穏健な咆哮が。それはもはや狂おしいユースの苛烈なシャウトではなく、その滾りをしっかりと芯にとどめながら、さらに複雑な感情を多く呑み込んだ大人の吠え声である。だから、あたたかで、したたかで、しなやかで、しっくりと新しい。逞しい魂をやわらかに弾ませている。さらなる”奇妙な日々ーSTRANGE DAYS”を堂々とポップに歩きぬくための新たなステージ、私たちが今作に聴くのはその熱い息吹と、やさしくタフな意志である。「素朴にゆく道」だ。「この道」は充ち満ちている、コヨーテたちとの頑健な足どりのなかに。

 深く鐘を打ち鳴らすようなオープニングから、「さよならメランコリア」へ。抑制されたトーンで語り出される始まりの曲は、それこそ人生のパレードである。だが、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の祝祭的な冒険心とは違う。もっと不穏な社会を生きぬくための、決してあきらめない魂たちにそっと寄り添う讃歌だ。かくしてアルバム冒頭から示される主題は、イエス/ノー、HAPPY/BLUE、始まり/終わり、生/死といったあらゆる二項対立、抗争状態を脱して、「身近な未来越えた/永遠のレボリューション」を探しに行く、魂の沸騰である。二項対立の超克というテーゼは、正義/悪、過去/未来、ルール/約束、右/左の区別の無化というように、かたちを変えてアルバム『今、何処』に通底する。

 いっぽうには、魂がある。2003年の名曲「君の魂 大事な魂」から大切に敷衍されてきたように。それは佐野が長年謳ってきた「約束」という主題を反響させている。「愛」や「信じること」をともにして。そして、風が変化と時代の象徴として、魂に対置される。時代の傾斜は「下り坂」、「最後の時」に「時が朽ちる」黄昏を示し、たとえば「彼女が恋をしている瞬間」と鋭く対立している。

 だが、こうしたコンセプテュアルな構想設計を超えて、ここに響き出す音楽はポップで、いつもどこかやさしい。多様でありがら一体感に充ちたバンドサウンド、音の温かさ、やわらかさ、タッチの明朗さ、包み込むような質感は、詩の言葉の勇敢な平明さに十全に調和している。サウンドの骨格はしっかりと迷いなく、ポップ・ロップの多様な実りをふまえ、細部の意匠は煌びやかなアイディアを詰め込んでいる。ミュージシャン個々のプレイアビリティが自発的に織り込まれ、コヨーテバンド十数年来の成熟と愉楽を証している。エッジをぬくもりでしめたようなアルバム全体の音像も、この時代に大人がひらく懐を感じさせる。堂々たる構えだ。

 全体をまとめあげるコンセプテュアルな構成観にしても、音像の体温、質感と奥行き同様に、アナログ時代の創造性を復権するものだろう。アルバム『COYOTE』で新たな章を拓く際、現代という荒地のただなかを往く少年の裸の野性をおいたが、佐野元春はここで、隔離や分断の日常に生きる、人間と体温のなかに新しい章を開いていく。蕩尽の荒涼よりも曖昧模糊たる不安を帯びた世界に、確かな足どりを示しながら、果敢な歩みを止めない。前作『ENTERTAINMENT!』と本作が、詩人の内省と成熟を、諦観と寛容とともに湛えた『或る秋の日』の後に、改めてバンド名義で放たれることの意義は明白だ。そこにはまず、連帯と絆の愉楽がある。

 そうして、佐野元春は今、やさしく広く語りかける。「すべては無常」だが、「愛していこう」と。諦念もシニシズムも超えた地平で、今作の本懐が明朗に明かされるのは終曲手前、「明日の誓い」としてだろう。「それはただの理想だと人はいう/でも理想がなければ/人は落ちてゆく/それはただの希望だと人はいう/でも希望がなければ/人は死んでいく」と佐野はかつてないほどシンプルに、わかりやすく説く。この輝かしい平明さのなか、心は高らかにひらかれてある。

 パンデミック。いろいろな思いが錯綜する。プライヴェートにも、パブリックにも。失くしたものも、思いがけず得たものもあるだろう。そして、佐野元春は新しい歌を書き、コヨーテバンドとともに鮮やかな情景を描き出していた。聴き手はいずれこの苦難の時節を、彼らの二枚の新作とともに切実に思い出すことだろう。殊に『今、何処』は、異例な時期に生見出された、特別な傑作である。しかし、それはそこにとどまるものではない。新たに出かけて行くための、自由な心は今もここにあると思い出させるからだ。

 夜はまだ更けきっても、明けきってもいない。佐野元春の気高い魂は、今なお元気に吠えている。