10月3日 'in the City I そして僕は歌を書いた'ライブレポート
text: 山本智志 



 佐野元春が折に触れて“シンガー・ソングライター”ということばを口にするようになったのは、《ミルク・ジャム・ツアー》がはじまるころのことだったろうか。歌を書き、自らうたっているアーティストのすべてをシンガー・ソングライターと呼ぶかというと、必ずしもそうではない。ジョン・レノンやポール・マッカートニーをそう呼びにくいのと同様、佐野元春は、シンガー・ソングライターというイメージからはみ出す部分が大きいアーティストだ。彼がシンガー・ソングライターに関心を示していることが興味深く思えたのはそのためだ。

 音楽制作者連盟 (音楽プロダクション216社で構成された公益法人) 主催による大規模な音楽イベント「in the city」は、さる10月1日から5日までの5日間、東京・渋谷の計6カ所の会場を使って同時併行で行われた。音制連からプロデュースの依頼を受けた佐野元春は、「シンガー・ソングライター」というテーマを提示。R&B風の女性歌手偏重の傾向にある日本のポップ・ミュージック界に対して、男性シンガー・ソングライターにももっと注目してほしいと呼びかけるとともに、「ソングライターとは何か」という問題提起を試みた。

 10月3日。午後7時を少し回ったころ、佐野元春は満員の観客で埋まった渋谷AXのステージに姿を現した。簡単なあいさつをしたあと、佐野は最初の出演者Yo-Kingを呼び、いっしょにボブ・ディランの「マイ・バック・ペイジズ」(日本語詞) をうたって歓声を浴びた。この日のコンサートのために佐野が用意したハウス・バンドには、井上鑑 (キーボード)、高水健司 (ベース)、村上“ポンタ”秀一(ドラム) という重鎮たちが顔を揃えた。彼らの演奏をバックにうたわれた《あのときのぼくはいまより老けていて、いま、あのときよりもずっと若い》というその歌のメッセージは、日本のロックが積み重ねてきた時間と経験を感じさせた。

Yo-Kingが弾き語りで披露した自作曲「きれいな水」や「そのあとの世界」には、彼のシンガー・ソングライター的な側面が浮かび上がった。そうした楽曲に見られるシニカルな視点や、死後の世界を明るくうたうといった態度は、彼が (意識しているにせよ無意識にせよ)“日本のフォーク/ロック”の伝統を受け継いでいることをうかがわせるものだった。

2番手の古明地洋哉(こめいじ ひろや) は、佐野元春の影響を自認する若い自作自演歌手。それまで洋楽一辺倒だった彼は、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』を聴いて啓発されたのだという。

入場時に受け取った「in the city」のブックレットには、ジョイ・ディヴィジョンのTシャツを着た彼の写真が載っている。そこから推測すると、イギリスのポスト・パンク・バンドに洗礼を受けた人のようで、歌に漂う幻想的なムードや湿り気を帯びた情感は強く印象に残った。彼を含めギター 2本とバイオリンの3人だけによるシンプルな演奏も、彼の志向する音楽のイメージを喚起させるという点ではなかなか効果的だった。ちょっと覚えにくいが、覚えておきたい名前だ。

つづいて登場したのはハナレグミ。スーパー・バター・ドッグのヴォーカリストで、バンドの楽曲のほとんどを手がけている永積崇(ながつみ たかし) のソロ・プロジェクトだ。

ファンキーなバンド・サウンドを身上とするバター・ドッグにくらべても、ハナレグミの音楽はシンガー・ソングライター的だ。聴き手に静かに語りかけてくる素朴な歌と演奏がほとんどで、永積の抑制されたギター (とてもうまい) も、歌を生かすうえでの必要最小限のプレイといった感じだった。

彼のアコースティックな歌は、どことなくゴスペルやブルースの要素を感じさせるもので、それがほとんど飾り立てたところのない音楽に力強さや不屈さをもたらしてもいた。ことばを惜しむような彼のヴォーカルとギターに、観客全員がじっと聴き入った。

最後に紹介されたのは、Saigenji (サイゲンジ)。中南米の音楽をベースにした日本語詞のオリジナル曲をうたうシンガー/ギタリストだ。ひとつの曲のなかで、彼のひらめきに従ってさまざまな音楽の要素が次々と飛び出してくる。目を見張るようなギター演奏を披露したかと思うと、マイクに口を押し付けて、アドリブ風に声でパーカッション的な音を出してみせたりもした。アメリカのスタンダップ・コメディアンがやるような、ジャズ/ヒップホップ的なテクニックだ。

とにかく幅広い音楽性を持った人で、キャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」を16ビートのサンバでやるというユニークなカヴァーも披露したが、その型破りな解釈には音楽に対する真面目さも感じられた。

ファンが待っていた佐野のライヴ・パフォーマンスは、9時過ぎからはじまった。 彼は4人のシンガー・ソングライターを順番にステージに呼び戻し、彼らと1曲ずつ共演した。Yo-Kingとは「ガラスのジェネレーション」を、古明地洋哉と「君がいなければ」を、ハナレグミと「ジャスミン・ガール」を、そしてサイゲンジとは「また明日」を、佐野はうたった。

コンサートのこの最後の30分は、言ってみれば佐野元春へのトリビュートのようだった。 4人は口々に観客に感謝の気持ちを述べ、先輩のシンガー・ソングライターである佐野元春に敬意を表した。この日の佐野はプロデューサーであり、司会者だった。主役は彼が紹介した4人のアーティストなのだから、4曲とはいえ、佐野と彼らとの共演が見られただけで満足すべきだろう。古明地がリクエストした「君がいなければ」は、佐野自身ライヴでうたったのははじめてだったということだし、佐野がサイゲンジとのセッションに選んだ「また明日」(佐野がステージでほのめかしたので、この曲がもともとブラジル音楽的だったということに気づいた) の演奏もおもしろかった。

「SSW〜そして僕は歌を書いた」と命名されたこの夜のコンサートは、佐野が80年代半ばに開催した「東京マンスリー」コンサートのことを思い出させた。ブラック・ミュージックの衣装(意匠) をまとった女性シンガーがあふれ、日本語のラップが定着したいま、佐野は「ことばと音楽に真剣に向かい合っている同時代の、同業者(ソングライター) を擁護しよう」とした。それはいかにも彼らしい行動であり、いささか陰りが見えるロックの再生に向けた地道な、しかし意義深い試みでもあった。コンサートの帰り道、「日本のロック界にはまだすぐれた才能がいるのだな」と、期待を持った。佐野元春は、そうしたシンガー・ソングライターたちを選び、われわれに紹介したのだ。


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