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10月9日 THE LAZY DOG LIVE '05
text: 吉原聖洋




 心地よい眩暈の感覚。その瞬間、自分がいまどこにいて何をしているのか、わからなくなる。

 佐野元春にはいつも驚かされる。今夜、彼がその曲を歌い始めたとき、それは起こった。頭の中でチャンネルが切り替わり、気がついたら別の世界にいた。そんな感じだ。初期の佐野元春のイディオムを凝縮したようなポップ・ソング「麗しのドンナ・アンナ」。この曲を再びライヴで聴ける日が来るとは。僕の記憶はあまり当てにならないけれど、彼がこの曲をライヴで歌うのは、たしか1986年の“Tokyo Monthly”以来のことだ。これは驚くに値する。

 いや、佐野元春なら「驚くに値しない」と言うかもしれない。「僕のリビングルームへようこそ」というサブタイトルを冠したワンナイトスタンド「THE LAZY DOG LIVE '05」。ライヴハウスでの特別なギグだから、通常のツアーでは選曲されることの少ないレアなレパートリーが演奏されるのは当然のことだろう。そして、彼が普段自宅で口ずさんでいるような曲を歌う、という趣向だと考えれば、どんな曲が演奏されたとしても不思議ではない。

 けれども、音楽はやはり不思議なものだ。Dr.kyOnが奏でる「バルセロナの夜」のイントロが拍手と歓声に迎えられたとき、頭の中のチャンネルが再び切り替えられる。気がついたら、僕は24年前の新宿ルイードにいた。25歳の佐野元春が歌う「バルセロナの夜」が現在の彼の歌声に重なり、25歳の彼が現在の彼に重なる。
時を超えて、二重写しになる音楽と映像。

 時空を往来するトリップ。佐野元春のライヴでは特に珍しいことじゃない。オールド・ファンなら誰もが何度かは、いや頻繁に経験しているはずだ。以前にも書いたことがある。佐野元春の音楽を聴く、というのはひとつの旅を経験するようなものだ、と。彼の音楽を聴く、というのはつまり、そういうことだ。

 「こんな素敵な日には」「Do What You Like」「すべてうまくはいかなくても」など、最近のライヴでは演奏される機会の少ないレパートリーの数々が僕らを旅へと誘う。一種の時間旅行。実際に体験したことのある過去だけにトリップするわけではない。あり得たかもしれない過去やあり得るかもしれない未来も含めて、僕らは時空間をトリップする。これを何度も繰り返していると頭がぐらぐらして船酔いのような状態になる。ただし、船酔いならぬ時空酔いは、ひたすら心地よい。

 しかもそれだけではない。タイムスリップだけなら、これまでに何度も経験している。今夜のこの感覚は初めてのものだ。言葉にするのは難しいけれど、たとえば一度も交わることのなかった直線が初めて交わった瞬間のような、あるいは一周で25年間の大時計がようやくひと回りしたような、ひとつのサイクルが終わりを迎えると同時に新たなサイクルが始まったかのような、そんな感覚。

 佐野元春にはいつも驚かされる。「今日はジョンの誕生日だから」というMCに続いて、演奏された「Come Together」。“Greenig Of The World”で披露された「Revolution」以来、佐野が他のアーティストの曲を、そしてビートルズの曲をカヴァーするのは、15年ぶりのことだ。これも驚くに値する。

 ザ・ホーボー・キング・バンド(H.K.B.)の演奏力にも改めて驚かされた。このニュアンスをライヴで再現するのは難しいだろうな、と思われるような難曲でも、まるで魔法の箱から万国旗をするすると引き出すマジシャンのように、彼らはいとも簡単に演奏してしまう。パーカッション奏者SPAMが加わった6人編成のH.K.B.による絶妙のアンサンブル。彼らの演奏が今夜の特別な時空間を演出する。家族や友人たちが集まったリビングルーム・セッションのように親密なギグ。今夜のギグが佐野とH.K.B.の最高のセッションのひとつとして記憶されることは間違いない。観客は皆、その演奏に酔い痴れていた。

 小さなライヴハウスでのギグだからといって、リビングルーム・セッション仕様のギグだからといって、佐野元春はその場にずっと留まっていられるようなタイプの表現者ではない。たとえ同じ場所で足踏みを繰り返しているように見えたとしても、彼の眼はいつも未来を見据えているし、チャンスがあれば常に一歩でも前に進もうとしている。今夜のギグも単なる「ワンナイトスタンド」ではない。

 初期のレパートリーを歌っているときにも彼は常にポジティヴだ。穏やかに呟くように歌っているときにも、その背後に爆発寸前のエネルギーが感じられた。フルスロットルで走り出したい衝動を敢えて抑えているような気配があり、今夜のギグは物語を新たな章と進行させるための大切な儀式のようにも感じられた。

 今夜、佐野の決意を僕は感じていた。それが何に対する決意なのか、いったいどのような決意なのか、それはわからない。ただ、今夜のギグの前には彼の或る決意があったのではないか、と僕は感じた。そして、その決意が今夜のセッションによりポジティヴなニュアンスを与えている、と。

 20年の時を超えて蘇った「麗しのドンナ・アンナ」「バルセロナの夜」「こんな素敵な日には」、敢えて弾き語りで歌った「希望」、アンコールで披露された「ロックンロール・ナイト」など、佐野の決意を感じさせる選曲を散りばめた今夜のセットリストは素晴らしいものだった。超一流のDJでもある彼の“ランニングオーダー”は常に天下一品だが、今夜のそれはまさに完璧だった。このセットリストは佐野とH.K.B.が到達した地平を象徴している。これも驚くに値することのひとつだ。

 佐野元春にはいつも驚かされる。ザ・ハートランドとの14年間の旅、そしてH.K.B.との10年間の旅を経て、彼はこれからどこへ向かおうとしているのだろうか? 今夜、僕の頭の中では「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」のあの一節が木霊のように何度も鳴り響いていた。「俺達は流れ星/これからどこへ行こう」。12月にリリースされるはずの新作「星の下 路の上」が本当に楽しみだ。



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