佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『HAYABUSA JET I』『HAYABUSA JET I』を巡るテキスト

狂気と円熟の合せ技に奮い立つ1枚

スージー鈴木

 いい音楽には2種類あると思う――「震える」音楽と「奮う」音楽だ。感動に打ち震える音楽、気力が奮い立つ音楽。『Hayabusa Jet Ⅰ』は後者、まさに奮う音楽だろう。

 ニューアルバムに奮わされている私は、佐野元春のちょうど10歳下。今年59歳になる男だ。以下、ロックンロールを語るのに似つかわしくないが、それを承知で、年齢の話を続けさせていただく。

 アルバムの冒頭で『Young Bloods』を歌う佐野元春が「Young」ではないと指摘するのは口幅ったいのだが、彼はこの3月に69歳になった。「若々しい」とは言えども、決して「若い」とは言えないだろう。

 それでも、このアルバムに奮い立つのは「これが69歳の声なのか、音なのか」と思わせるから。いや、もう少し厳密に言えば「29歳の狂気と69歳の円熟との合せ技」を感じるからである。「29歳」とは『Young Bloods』をリリースしたちょうど40年前の彼の年齢。

 さて、「元春クラシックスの再定義」「ノスタルジーだけでは終わらせないぜ」というスタンスを象徴するアルバムのクライマックスを1曲挙げるとすれば『つまらない大人にはなりたくない』だと思う。

 こちらはちょうど45年前の『ガラスのジェネレーション』を改題し、サウンドもまさに「再定義」「新定義」することで、メッセージがいよいよ鮮明になっていることに、私は奮い立つ。

 だって「つまらない大人」にならなかった大人が、今もなお「つまらない大人になりたくない」と叫ぶ歌なのだから。

 クライマックスのクライマックスは「♪SO ONE MORE KISS TO ME」の後のシャウトだ。文字にしにくい雄たけびだが、あえて書き取れば「あー!」から「ぎゃぎゃぎゃー!」に変化していくような。こんなシャウトをする69歳が、この国にかつていただろうか。

 それでも、単なる乱暴で暴力的な叫びではなく、その声は、バックの上質な音にしっとりと馴染んでいる。まさに狂気と円熟が交差する瞬間――。

 話は唐突に飛ぶが、2017年4月20日、TBSラジオ『伊集院光とらじおと』に吉田照美がゲスト出演した。ラジオ界2大ラジオスターの共演である。

 そこで伊集院光から「今後やりたいラジオ番組」を聞かれた吉田照美は、こう答えたのだ――「年寄りが画期的なことをやる番組。『ラジオ深夜便』みたいな静かな番組じゃなく、年寄りが暴れたり、大声を出す番組」。つまりは狂気と円熟ということだ。

 最近「老害」という言葉をよく耳にする。この言葉を口にするのは、もちろん老人ではない。

 背景には「超」の付く高齢化社会があるのだろう。老人そのものが多いのだから、下から見ている世代にとっては、迷惑な老人も目立つということになる。「黙って静かに、縁側でお茶でもすすってろ」とでも言いたげだ。

 そう言えば「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹」なんて息巻いた「有識者」もいたっけか。

 百歩譲って「老害」というものが本当に存在するとして、だとしたら、その対義語は何なのか。決して、縁側でお茶をすすることじゃないだろう。

 私が思う対義語、真逆の概念は、まず狂気と円熟の併せ持つこと。次に、この2つを武器にして、いくつになっても、何かを騒々しくメッセージし続ける大人であり続けることだ。

 狂気と円熟。鬼に金棒。

「老いてもますます盛ん」ではなく、「老いたからこそ、ますます盛ん」な連中になること。「クレイジー・オールド・フラミンゴ」になること。これだよ、これ。

 言いたいことはもちろん、「クレイジー・オールド・フラミンゴ」と書いて、佐野元春と読むということである。そして『Hayabusa Jet Ⅰ』を聴くことは、それを確かめて奮い立つということ――。

 以上、佐野元春からちょうど10歳下の私の視点から語ってみたのだが、最後に、ちょうど10歳「上」の視点から。

 69歳と言っても、デビュー45周年、そしてコヨーテ・バンド結成20年と言っても、全世界を今、混乱の渦に巻き込んでいるあのMr.プレジデントよりも10歳も若いんだ。

 この事実を知って私は、ちょっと懐かしい歌を口ずさみたくなった。少しだけ歌詞を変えながら。

 ――思いのたけ 奴らの悪口をたたけよ 言葉に”関税”はかからない