佐野元春45周年のアニバーサリーとなる2025年の年明け早々、配信限定シングルとして「つまらない大人にはなりたくない(New Recording)」がリリースされた。そう。80年にセカンドシングルとしてリリースされ、その半年後、アルバム『Heart Beat』の冒頭を飾る「ガラスのジェネレーション」45年目の“再定義”だ。デビューアルバム『BACK TO THE STREET』で貫いた“ストリート”の視点は『Heart Beat』で青春映画の傑作『アメリカン・グラフィティ』さながらのワン・ナイト・ストーリーとして昇華し、「ガラスのジェネレーション」はそのオープニングを飾った。
『アメリカン・グラフィティ』は、1962年のカリフォルニアのローカルタウンを舞台に、そこに潜むティーンエイジャーの心情の機微をロックンロールのプリミティブなビートに乗せて描いていった。そして、元春が『Heart Beat』の中で描いていったのは“都市生活者”の焦燥と未来を照らす一筋の光だった。街を舞台に悩み、疾走し、前のめりに躓きそうになりながらも、たったひとつの真実を探し求める息遣いが“ロックンロール”というワードに言語化され、当時のキッドたちの心に様々な心象風景を描いた。
そのイントロダクションである「ガラスのジェネレーション」はドリーミーな煌めきが溢れながら、同時に当時ティーンエイジャーだった自分が抱える、うまく言葉に出来ない不安を十分に体現していた。だから、リリックに出てくる“プリティ・フラミンゴ”や“ミッドナイト・カンガルー”がすぐに僕らのことだと分かった。圧倒的にリアルだった。そして “つまらない大人になりたくない” という叫びは、その後の人生の命題となり、さらには伴走者となった。だから、僕はこの曲をノスタルジーで聴いたことがない。しかし、再定義された「つまらない大人にはなりたくない」を聴いた時、ひとつの人生の答え合わせが出来た。そうか!そういうことだったのか!と。そして僕は毎日、何度も繰り返し聴いた。
不安に揺らぐ世相を映し出すかのようなスリリングなイントロは、オリジナルヴァージョンの何かが始まることを予感させるような躍動感とは違っていた。そして、元春は語りかけるように聴き手を誘い込む。しかし、聴き続けていくと、結成20周年を迎えたTHE COYOTE BANDの堅固なサウンドフォーマットの上で、元春の声が微かに震えているような気がした。いや、それは僕の心が震えていたから、そう聴こえたのかもしれない。それはアーティストと聴き手のコミュニケーションの中で、楽曲が生命体を纏った証だった。
そして、ドラマティックな展開を見せるアレンジは、45年という長い時間の中で、時には揺らぎ、迷い、そして原点に戻りながら突き進む元春の心情が凝縮されているようだった。再定義された「つまらない大人になりたくない」は、現在も着地せず、未来を見据えていた。それは鋭い眼差しと鋼のような精神力を持ち、最速のスピードで獲物を定め、また新たな航路に飛び立つハヤブサのように。
この「つまらない大人にはなりたくない」を含む、元春が1980年代から1990年代に発表した全10曲を再定義したニューアルバムが『HAYABUSA JETⅠ』だ。『アメリカン・グラフィティ』では、エンドロールで登場人物たちのその後を綴り、青春の終焉を見事にパッキングしたが、『HAYABUSA JETⅠ』は最新型のアレンジで、楽曲たちがこれから先も生き続けていくことを証明させた。
それぞれの楽曲に潜む真意をそのままに、ノスタルジーでは終わらせないという元春の強い信念が未来を示唆する。そして “日本語のロックの開拓者” である元春の言葉との向き合い方においても、さらなるリアリティの追求が感じられる。例えば「Youngbloods」の冒頭を「静かな街のブルースに眠る この胸の蒼い信念 大地に果てしなく降る朝の光」としているように、言葉の輪郭を顕にすることで、新たな決意を漲らせている。
『HAYABUSA JETⅠ』には都市生活者のワン・ナイト・ストーリーを描いた『Heart Beat』から「君をさがしている」も収録されている。個人的に初期佐野元春を語るにあたり重要曲の1つだと思える同曲だが、ポエトリー・リーディングの趣を感じる再定義を聴くと、歌詞にもある“狂暴な情熱”が、僕の心の中で浄化されながらも絶えることのない静かな青い炎を灯し続けていることを気づかせてくれた。そして「ダウンタウン・ボーイ」は「街の少年」となり、ロックンロールの性急さをよりクローズアップ。迷いを振り切るような疾走感で心と体を駆け抜けていった。
今から45年前、ストリートに飛び出し、ワン・ナイト・ストーリーを描いた元春は、止まることなく旅を続けていた。旅の起点であり、旅の途中で深化した若き日々の激情が今、未来を見据えて再定義された。そして見据える先には希望しかない。それは“つまらない大人にはなりたくない”と願った僕らの現在であり、あの時に感じた衝動が間違いではなかったという答えでもあるのだ。