佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『HAYABUSA JET I』『HAYABUSA JET I』を巡るテキスト

Grown Backwards -後ろ向きに成長

片寄明人

 1982年、14歳の時に慶応大学の学園祭で体験して以来、数え切れないほど通った佐野元春のライブ。僕にとってその魅力のひとつは、ライブだけで披露される特別なアレンジだった。1985年のVISITORS TOURでメランコリックなモダン・ファンクへと生まれ変わった「アンジェリーナ」をはじめ、オリジナルの音源から過激なまでの変化を遂げたライブ・バージョンに何度驚かされ、魅せられ、そして酔いしれただろう。

「大好きな曲を新たな角度から味わう快感」を10代にして佐野元春から教えられた僕は、いまもライブにCDの忠実な再現を求める気持ちがない。GREAT3が5年ぶりにライブを再開したこの2年間も、あえて原曲のアレンジを踏襲しながら、リズムに対するアプローチを大きく変えることに挑戦している。そしてうまくいったときには過去の曲をまるで新曲に感じるほどの快感が得られることを知った。楽曲は過去のものだけにあらず、ミュージシャンと共に進化する可能性があるのだ。

 理学の観点から見ると、過去・現在・未来は同時に存在するという。自分にはその理論を完全に理解できる教養はないが、過去との向き合い方が、いまを生きる上でとても重要であり、それによって未来が大きく変わるという実感は持っている。過去が現在に影響を与えるように、現在や未来の行動が過去の意味を変える可能性もあるだろう。

 佐野元春は、かつて世に出した楽曲をリアレンジするだけでなく、時には歌詞までも変え、ライブ演奏にとどまらず、新たにレコーディングすることも多い。そしてその行為を後ろ向きの表現ではなく、新たな進化、楽曲の再定義だと感じさせてくれる。その挑戦的な姿勢は次世代のミュージシャンにとって理想的なロールモデルだ。デヴィッド・バーンが2004年に発表したアルバムのタイトル「Grown Backwards」という言葉が、フッと頭の中を肯定的によぎる。

 2017年の「MANIJU」以降、過去を凌駕する快進撃を続けながら、デビュー45周年を迎えたキャリア・ミュージシャン。そして初期の名曲群よりも大きな喝采を浴びる新曲を生み出す奇跡的な存在。その佐野元春がTHE COYOTE BANDと共に自らのクラシックスを2025年に再定義したのが、この「HAYABUSA JET 1」だ。巷にあふれる懐古的なセルフカバー集とはまったくレベルの違う作品であることは言うまでもない。

 アルバムに先立って公開された「Youngbloods」 (New Recording)は、モダンにアップデートされたソフィスティ・ポップ・サウンドが最高だった。「争ってばかりじゃ、ひとは悲しすぎる」オリジナルをはじめて聴いた16歳の冬、この言葉が歌われた時、高揚感と共に涙があふれた瞬間が忘れられない。その感情を40年近く経ったいま、新たなサウンドで再体験できる喜び。

 佐野元春の音楽は僕にとって、メランコリックでセンチメンタルな自分をどんな時も包み込んでくれるロックンロールだった。そして若い頃、不安定な心といつも重ね合わせて聴いたナンバーが「街の少年」と改題された「ダウンタウン・ボーイ」だった。この曲は発表された当時からとても独特なムードをまとっていて、僕は他に似た楽曲を思いつかない。メロウでありロックである、ジャンルで括ることのできない不可思議な魅力は、このNew Recordingでも輝き続けている。

「HAYABUSA JET 1」には、オリジナル・アレンジの延長線上に進化した曲も、まったく新たなアレンジを施された曲もあるが、そのすべてが2025年の佐野元春サウンドとして、低域の充実した現代的なサウンド・デザインをともない、みずみずしく心へと響いてくる。

「元春クラシックスの再定義」は新世代へのプレゼンテーションであると共に、斬新な新アレンジで会心の仕上がりとなった「自立主義者たち」が、原曲の「インディビジュアリスト」を超えて、僕にとってのベスト・バージョンとなったように、オリジナルを超える驚きと感動を長年のファンにも与えてくれることだろう。

 そして意表を突かれたこのアルバム・タイトル。彼は「“ハヤブサ・ジェット”はデヴィッド・ボウイのジギー・スターダストやジョン・レノンのウィンストン・オーブギーのような存在、僕のアバターだよ」と語っているが、正直なところ、そう名乗られても戸惑うばかりで、どう受け止めて良いのかわからない(笑)でも佐野さんらしいなと心から思う。とにかく天然でブッ飛んだ、愛すべき人なのだ。THE COYOTE BANDのメンバーに会うと、いつもみんな嬉しそうに佐野元春の面白エピソードを語り出す。僕も同じである。そしてそれは彼の音楽同様に、みんなを幸せにしてくれる。

 この調子でどこまでも行ってほしい。ハヤブサのように、ジェット・マシーンのように。佐野元春は僕らの道しるべだ。