佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『HAYABUSA JET I』『HAYABUSA JET I』を巡るテキスト

『今、何処』の世界観で鳴らされた元春クラシックス

村越辰哉(TOWER RECORDS新宿店)

 アルバムタイトルは『HAYABUSA JET I』だという。このタイトルには驚いた。アルバム『今、何処』のプロデューサー・クレジットが<Moto ‘JET’ Sano>であったことから、<HAYABUSA JET>なるワードが、元春のなかに潜伏している気配を感じていたが、ここにきて表舞台であるアルバム・タイトルに躍り出るとは!

 <HAYABUSA JET>が、DAVID BOWIEにおける<ZIGGY STARDUST>に代表される、”ロックンロールの歴史における別名義”というギミックを継承するのであれば、元春クラシックスの再定義は大胆なものになる、と俄然期待が高まった。

 そしていよいよアルバム音源と対峙したときに…、こんな妄想が脳内を駆け巡ったのです。アルバム『HAYABUSA JET I』はアルバム『今、何処』の世界と地続きなのでは? つまり『今、何処』の世界観で元春クラシックスが鳴らされているのではないか。

 さらに妄想すると、HAYABUSA JET & THE COYOTE BANDが、ZIGGY STARDUST & THE SPIDERS FROM MARSよろしく『今、何処』で提示された<少しづつ沈んでいくネイション/それはまるでサイエンスフィクション(さよならメランコリア/佐野元春)>な不穏な世界に降り立ち、ヒーロー<HAYABUSA JET>が”君の魂”を救うってことなのではないか…。

 そうであれば、アルバムジャケットの表情にも合点がいく。眉をいからせ視線鋭い元春の表情は、往年のアクション映画や劇画の主人公然としているではないか。きっと、この人物は佐野元春ではなくHAYABUSA JETさんなのだ…。この推理、あながち間違ってはいないのではないかと思ってますが、さていかがでしょうか。

 いやいや、やはり考えすぎかも。アルバム『今、何処』で、THE COYOTE BANDが示したロックバンドサウンドの進化型(“ありがち”に陥らず、かといって気をてらった仕掛けに走るわけでなく、抑制の効いたインテリジェンスに満ちたアレンジ/演奏は、THE HEARTLAND、THE HOBO KING BANDとは異なる地平にいると思ってます)が、次作となる『HAYABUSA JET I』で発揮されれば、バンドサウンドに連続性を感じるのは自然なこと…、やはり穿った妄想かもしれません。

 しかしながら、『HAYABUSA JET I』をプレイする度に、アルバム『今、何処』の世界に導びかれていきます。”儚なく”、”もどかしい世界”で、”悲観的すぎるシナリオ”を描いてしまう”この植民地の夜”に、HAYABUSA JETがもたらすのは、”鋼鉄のようなWisdom / 輝き続けるFreedom”!

 したたかに生きる「街の少年」や「自立主義者たち」。「つまらない大人にはなりたくない」とシャウトする気骨あるガラスのジェネレーション達。彼らは、”なんとなく生きて / なんとなく死ぬ”(さよならメランコリア) なんて考えもしない、魂をぶちあげるタフさを感じさせます。

 前作のアルバム『今、何処』で突きつけられたディストピア的世界観のショックを相変わらず引きずっている自分にとって、『HAYABUSA JET I』は、”そう、ぶち上げろ魂!”と、ソウルを激しくシェイクする、そんな救世主的アルバムだ。