ライナーノートを書くほど音楽に長けていないし、ファンだからと言って単に褒め称えるのもどこか違うような気がする。できるだけ中庸で語りたい。書籍編集の仕事をしているからか、つい言葉に注目してしまう私がいる。
デビュー45周年、コヨーテ・バンド結成20年。これまでも〇〇周年が何度もあった。ライオンの場合、すべての年が〇〇周年のように良い意味で期待を裏切られる連続だ。その中でも『HAYABUSA JET I (ハヤブサジェット ファースト)』は別格で期待を裏切られた。
いちばん驚いたのは「つまらない大人にはなりたくない」だった。ガラスのジェネレーションが「つまらない大人にはなりたくない」に姿を変えた。変えたという形容は相応しくないかもしれない。もうまったく別物。しかも、あの歌詞がタイトルにまでしてしまった。これまでこのセンテンスは、ファンが密かに大切にしていた「ガラスのジェネレーション」の中の暗号ようなものだった。それは「サムデイ」の「『手おくれ』と言われても口笛で答えていた」のように……。
でもライオンは「つまらない大人にはなりたくない」を表舞台に出した。それはなぜ? もちろんそこには意図があるはず。「つまらない大人にはなりたくない」は、暗号のように隠れていたものから、脚光をあびるものへ。強烈なメッセージなのかもしれない。
アメリカに長く住んでいたので、「インディビジュアル」という言葉がどのような状況や意味で用いられるか多少はわかっているつもり。この単語、日本では「個人の」と訳されることが多いように思う、しかも少し否定気味に……。アメリカでは「個人の」という意味もあるけれど、加えて「自立」という意味がわずかに含まれているのは確か。だから「インディビジュアリスト」が「自立主義者たち」となったことにも深く頷くし、そこに絶対肯定のようなものが存在して安心する感覚さえ生まれる。
それにしても、ところどころ歌詞も変わっているから、ライブに行った時に古い曲の歌詞が口から出てきてしまわないように気をつけないと、と思うのは私だけじゃないはず(特に「ヤングブラッズ」は思わず古い方が口から出そうだ)。きっと多くのファンたちが同じ思いでいることでしょう……。
声についても記しておきたい。当たり前のことだけれども『BACK TO THE STREET(バック・トゥ・ザ・ストリート)』の頃は、声がいまよりもずっと高かった。今は熟成してさらに色っぽさがある。
アルバムを聴きながら長い散歩に出かけると、なぜか大股にそして足早になっていく私がいる。リズム感だろうか? これは「声」だ。なにものにもぶれない「声」だ。そしてきっと、圧倒的にカッコイイギターのせいだと思う。いや、ギターだけじゃなくて、ベースだってドラムだってキーボードだって、ぜんぶ「前へ前へ」と向かっている。みんなが向かい風をもろともせずに進む一体感。私も進もう、前へ!
そして最後に特質すべきこと。 『HAYABUSA JET I (ハヤブサジェット ファースト)』とうとう出来てしまった。まさか本当にこの名前が世に出る日が来るとは! いつか見たお笑い番組でライオンは「長いこと佐野元春でやっていると飽きてくる、気分を新しくしたい(改名したい)」と思いを語り、そのときに周囲から「どんな名前にしたいの?」と突っ込まれて「絶対わらわれる」と前置きしてから「はやぶさジェット!」と満面の笑みで答えられていた。当時のライオンに教えてあげたい「2025年に『HAYABUSA JET I (ハヤブサジェット)』が世に出るよ!」と。