佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『今、何処』『今、何処(Where Are You Now)』と『ENTERTAINMENT!』を巡るテキスト

コロナ禍に響き亘る希望の歌

小尾 隆

 今この世界は混乱に満ちている。たとえ見て見ぬふりをしていても、強がりを言い放ったとしても、パンデミックは抜き差しならない現実として、低く垂れ込める雲のように僕たちの暮らしへと覆いかぶさっている。加えて今度はロシアによるウクライナ侵略戦争まで始まってしまった。やれやれ。「僕に出来ることは?」と問い掛けてみても答えは見つからない。かつてミック・ジャガーは混迷する60年代の末期に「貧しい少年にはロックンロール・バンドで歌うことしか出来ないよ」(「ストリート・ファイティング・マン」)と歌ったが、果たして佐野元春の場合はどうだろうか?

 実際2020年の幕開けとともに始まったコロナ禍に翻弄されなかったアーティストなど皆無だろう。相次ぐライヴ・コンサートの延期~中止、無観客での配信という新たな試み、リモートでのレコーディングなどが模索されていったことは記憶に新しい。そんな状況を局面局面で冷静に見極めつつ、40周年アニヴァーサリーを含む幾つかの有観客ライヴを実現し、アクティヴに幾つもの新曲をリリースしていった佐野元春&ザ・コヨーテ・バンドに感謝せずにはいられない。人は失ってから気が付くとは昔から伝えられる訓話だが、パンデミックになってから改めて人と人との結び付きを愛おしく感じ取った人は多いに違いない。

 新作アルバム『ENTERTAINMENT! 』にはこの2年の間に佐野が書き溜めた曲が並べられている。「この道」や「合言葉」といったパンデミックを意識した歌でも、佐野らしく都市の鼓動を伝える「街空ハ高ク晴レテ」や「東京に雨が降っている」でも、彼は必要以上に状況を悲観するのではなく、手のひらで日常を慈しみながら、これまでしてきたように経験の唄を積み重ねている。そして何よりも音が朝露のようにフレッシュだ。

 ザ・バーズやティーンエイジ・ファンクラブを彷彿させる「エンタテイメント!」のジャンングリーなギターの響き、「愛が分母」のスカ、「この道」のロック・ステディと、アルバム冒頭から色彩感溢れるサウンドスケープとリズムの幅に感心させられる。たとえ「悲しい話」のような深く沈み込んだ歌でも決して自己憐憫に陥ることなく、佐野元春は歌の主人公の孤独に寄り添っているようだ。白眉はザ・コヨーテ・バンドのプレイヤーヴィリティを遺憾なく発揮した「少年は知っている」だろうか。かつての傑作『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録されていたとしても不思議ではないアグレッシヴなロックンロール・ナンバーであり、生演奏の場で是非とも体験したくなるような曲だ。ああ、音が地響きとともに押し寄せ、歓声が湧き上がるライヴが恋しくなる!

 『ENTERTAINMENT!』が配信のみでリリースされた理由についてはどうだろうか。これまでパッケージ・ソフトにこだわり続けてきた佐野元春としては異例の選択であることに違いないものの、僕自身はパンデミックという状況下で生まれた新しい歌を早く届けたいという彼の願いの現れではないかと受け止めている。コロナ禍という時事性のある歌であればなおさら配信という方法は有効だ。彼はきっとこれからも配信とパッケージとを必要に応じて使い分けていくことだろう。

 今日も家に閉じ籠もり、何処にも行けず、パソコンやスマートフォンの画面越しに友人たちと「会話」する。たとえ街に出たとしても、マスクに覆われた人々の顔から心は読み取れない。パンデミックのせいでそんな不自由な生活が当たり前になってしまった。コロナやワクチンを巡る意見の衝突や分断も、悲しいかなリアルな現実だ。きっと今という時代を振り返るには、もう少し歳月が必要なのだろう。それでいい。焦ることは何もない。

 『ENTERTAINMENT! 』はパンデミックの時代に生まれた報告記だ。いつかゆっくりと世界は息を吹き返し、自由に羽根を伸ばせる日がやって来るだろう。その時に「この道」や「合言葉」といった楽曲を思い出せればそれでいい。そして僕たちは再び知ることになるだろう。佐野元春はたとえパンデミックといういばらの道にあっても諦めず、足取りも軽やかに、口笛を吹きながら希望の歌を歌っていたと。