佐野元春『今、何処』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『今、何処』『今、何処(Where Are You Now)』と『ENTERTAINMENT!』を巡るテキスト

『今、何処』ー迷える魂への呼びかけ

今井智子

 『ENTERTAINMENT! 』リリース時に予告されていたことだが、佐野元春が『ENTERTAINMENT! 』から僅か3ヶ月で新作を発表する。こんなに短いスパンでフル・アルバムリリースするのは彼のキャリアの中で初めてだ。

 『今、何処 』を聴いてまず思ったのは、新作を「出したい」というより「出さざるを得ない」感情だったのではないかということだ。溢れ出す、というよりは収まりきれない何か、途切れない何かが、この2作の間にはあるように思う。

 配信シングル「ENTERTAINMENT!」が発表されたのは2020年4月。同年に入り日本でもCOVID-19の感染が拡大し始め、様々な制約による閉塞感と不安に誰もが囚われていた頃に、この曲は少しだけ安心感を与えてくれたものだ。ポップ・ミュージックにはそんな力があることを信じているよと佐野は歌いかけていた。アルバム『ENTERTAINMENT!』はそんなスピリットを感じさせる作品だ。

 2022年はコロナ禍を引きずりながら幕を開け、2月に入ると東欧の不穏なニュースが伝わってきた。激化する戦いのニュースに世界中が揺れている最中、アルバム『ENTERTAINMENT!』のスピリットはもちろん揺るがないが、その行間にあることを『今、何処』は表現していると思う。光の当たる明るいところだけでなく、影になったところもあって現実は成り立っている。シリアスな現実を見据えることでポップ・ミュージックはさらにその力を生かすことができる。過去にも多くの曲が人々の悲しみや辛さを共有し、同時にそれを癒し、心を解き放って進む力を与えてきた。それは音楽というものが持っている不思議な力だ。

 佐野には珍しくプロローグとエピローグが本作にはついている。その音像は明るくワクワクするようなものではなく、それが示唆するコンセプトを持った作品であることがわかる。「WHERE ARE YOU NOW?」というサブタイトルは、迷える魂への呼びかけのようだ。同じことを思っている人がきっといるだろうが、本作のアートワークを手がけたStormStudiosの母体であるヒプノシスのデザインで有名なピンク・フロイドの作品『あなたがここにいてほしい(原題:Wish You Are Here)』を思い浮かべる。

 霧の中で手探りをしているようなプロローグに戸惑っていると、「さよならメランコリア」で”新しい世界”へ”あきらめず探しに行こう”と歌いかけられる。だが純真に進むわけではない。悲しいシナリオが透けて見える「銀の月」、いつ書かれたものか知らないが今まさに毎日報じられているニュースを描いているような「植民地の夜」やブルージーな「永遠のコメディ」、人間を原罪から解き放つ光を求める「エデンの海」、一発録りかと思わせるバンド・サウンドが小気味いい「大人のくせに」の”英雄もファシストもいらない”というフレーズは、まさに世界中が思っているであろうことだ。どんな状況であれ愛する人を守りたいと唄う「君の宙」、”より良い明日へ”歩き続けることこそが大切と思わせる「明日の誓い」は、生きていく上で最も重要なことをストレートに伝えている。エピローグは、まだ霧は晴れないが進むしかないと示しているかのよう。

 コロナ禍で友人や家族さえ直接会うこともできない状態が続いたかと思えば、戦いによって家族や友人が分断され、命を落とした家族や友人を見送ることもできない。そうした人たちに想いを馳せ、生きていってほしいとこの作品で佐野は歌っているように思う。そんな佐野の思いを力強くシャープな演奏で受け止めているコヨーテ・バンドが何より頼もしい。コヨーテ・バンドとは6作目だが、佐野はこれを「最高の1枚」と言っている。

 時代を反映させた曲であっても、本当に力のある曲は時間や状況を超えて魅力も影響力も増していく。佐野にも気がつけば”MOTO STANDARD”と呼びたい曲が山ほどあり、コヨーテ・バンドとの曲も少なくない。本作からもそうした曲がいくつも生まれることだろう。