黄昏の中で鳴り響くロック──。佐野元春の新作『今、何処』を繰り返し聴きながら、ふとそんな言葉を思い浮かべた。
私たちが暮らす社会は、急激なスピードで傾きつつある。国の底辺を支える力は衰え、格差と綻びが広がって、安心は損なわれた。変わらなきゃいけない。踏み止まらなければならない。相反する2つの感情に引き裂かれ、次の展望もまだ見えない。
世界は、どうしようもなく変わってしまった。未知のウイルスに翻弄され、現在進行形の理不尽な暴力を目の当たりにして、どこか茫然とした気持ちで日々を過ごしているのはたぶん筆者だけではないだろう。
本作はいわば、そんな拠り所なき魂のための音楽だ。14の楽曲がトータルで織りなす風景・音像に触れるたびに、強くそう感じる。とうに分水嶺を越えてしまった現実への冷徹な視線。諦念と希望、アイロニーと率直さの間で揺れるリリック。そして何より、それらすべてを豊かに包み込んで、聴き手に生きる力をもたらすアレンジ。この数年来、自分が無意識に求めていたリアルな音が『今、何処』には詰まっている。
2022年、佐野元春 & THE COYOTE BANDはフルアルバム2枚を相次いでリリースした。メンバーは2019年後半からコンスタントに集まって、スタジオワークを重ねてきたという。パンデミックという特殊な状況のもと、発売スケジュールなどはあえて設けず、書き上がった楽曲を次々にレコーディングしていくやり方だ。
そこから生まれた数々のナンバーは、どれもポップソングとしての普遍性を保ちつつ、この2年半あまり私たちが感じてきた時代の空気とも不可分に結び付いている。ただ、仕上がったアルバムの手触りはむしろ対照的と言っていい。4月に先行リリースされた『ENTERTAINMENT!』の基調は、バンドの本領であるソリッドなギター・ロック。リズムも軽やかで全体の風通しがすばらしい。対となる今回の2枚において、困難な状況をしたたかに駆け抜ける“Sunny Side”のような趣きがあった。
一方で『今、何処』のタッチはぐっと肉厚で、持ち重りがする。この数年で露わになった世界の本質を抉る、“Deep Side”とでも言おうか。例えば佐野のヴォーカルが提示する繊細な主旋律と、それを陰で支える多様なカウンター・パート。シンプルに響くけれど、実は高度に設計されたギターのアンサンブル。控えめな装飾音で絵画における地塗りの役割を果たすキーボード。曲の内容に応じて考え抜かれたテンポ設定。それらのすべてが、どうしようもなく残酷で儚く、愛おしい人生をありありと浮き上がらせる。
ポップ・ミュージックにおける最上のメッセージは、言葉ではない。歌詞もその一部に取り込んだ、サウンドそのものだ。『今、何処』はまさにそれを体現したアルバムだと思う。例えば冒頭の「さよならメランコリア」に耳を傾けてみてほしい。
少しづつ沈んでくネイション
それはまるでサイエンスフィクション
今 望むことはたったひとつ
身近な未来越えた
永遠のレボリューション
ゆったりしたBPMで歌われるのは、まさに黄昏の国の風景。メッキが剥がれ落ちるスピードがあまりにも速くて、現実がディストピアSFに思えてしまう。筆者も含め多くのリスナーが抱いてきた苦い実感だろう。だが真に重要なのは、聴き手の中にメランコリックなイメージを喚起しつつ、それを突き抜けていく音像だ。大らかなイントロのギターと深く踏み込んだドラムスは、魂の不屈を暗示する。安直な励ましではない。わずかに不協和音を紛れ込ませたコードの組み合わせと、控えめに鳴り続けるオルガンの響きが緊張感を高めて、決して明るいだけじゃない未来像を予感させる。長めのアウトロも実にいい。豊かで重層的なビジョンに向けて、すべての要素が恐るべき精度で配置されている。残酷な世界と、孤独な魂。生き抜くための勇気と智慧──。
そして2曲目「さよならメランコリア」を聴き込むほど、その前に置かれたオープニングの重みも増してくるのだ。寄る辺のない空白に突然、響きわたる鍵盤の音。じんわりと滲んでいく余韻。たった20秒ほどの時間に、アルバムのコンセプトが凝縮されている。
溢れる情報の中で、魂を見失った人の群れをワイルドに歌う「植民地の夜」。軽快なスカのリズムで、下り坂の社会で生きる諦観と逃避願望をストレートに描いた「斜陽」。暴力と権威主義がふたたび跋扈しはじめた今、どこまでも個に寄り添う、か細くも美しいバラード「君の宙」。親愛なる友たちを、形を変えて生き残れと鼓舞するアップテンポな「水のように」。収められたナンバーはどれもフレッシュで、それでいて一筋縄ではいかない。
内なる無常感と戯れるような「永遠のコメディ」は、シンプルな言葉で魂の深淵を覗かせる。叶わぬ思いをウェルメイドな旋律に託し温かいキーボードの音で包んだ「冬の雑踏」は、どこかアル・クーパーの仕事を思い出させたりもする。いずれにせよ、本作における佐野元春のソングライティングが、成熟とアグレッシブさとがせめぎ合う新たなフェイズに入ったのは間違いない。
実は彼は昨年のインタビューで、次のようなコメントを残している(エリス32号/聞き手は萩原健太氏)
「たぶん、僕の音楽は10代からぼくと同世代まで、いろんな世代の人が聞いてくれていると思うんですね。でも、ぼくが今、この年代で正直に曲を書くとしたらば、非常にネガティブな曲しか書かないんじゃないかなと思う。(中略)やはりぼくはいろいろな経験を積んできていますし、いろいろな世の中を見てきているので、若いときよりか、たぶんもっとシニカルになっていて。そうした大人の視点をなるべくポップ・ソングの中に入れないように気をつけている」
創作者の胸のうちは想像するしかないが、おそらくはその通りなのだろう。『今、何処』もまた、従来の佐野元春のディスコグラフィと同様、リスナーに前向きな力をもたらすアルバムだ。だがその肯定的フィーリングは、あくまでネガティブな認識やシニカルな視点の先に灯った、かすかな光のようでもある。奥行きと苦みをたっぷりと伴った、重層的なポジティブさ。そこにこそ本作の真価があり、表現者・佐野元春の成熟があると、筆者は思う。