■MWSとコミュニティ

今井 立ち上がったあとはコンテンツサイトとしていろんな反響があり、雑誌のインタビューを受けたりもしたわけですが、その後、BBSが立ち上がりますよね。それで自前のサーバを手に入れて…
遠藤 IWEの一環として、みんなに128Kbpsの専用線をばらまいたときに、MIPSとしても応募したんだよね?
今井 それはやはり、インディペンデントで運営していきたいという意識があったんだよね。
米田 あと技術的なところですね。CGIも動かせないし、FTPするのも大変だし。
今井 元春ホームパーティはみんな顔が見えてたけど、MWSを立ち上げたときって、誰がアクセスしているか分からない。でもBBSを立ち上げたら、一気にみんなの顔が見えたんですよね。あのときってどう思いました?
道向 やはり佐野さんについて想いがある人たちが、インターネットに何か残したいっていう意識が強いというのは見えましたよね。
遠藤 あの頃、インターネットって、もう思考が停止するようなパワーがあったと思うんだよね。
今井 そのパワーを運営側として感じたのは、まずMWSを立ち上げてすぐに、Cafe Bohemia誌との間で若干の問題が生じた。情報のスピードは圧倒的にネットのほうが速いからね。あとBBSができた後は、本家だったはずの元春ホームパーティとの立ち位置がずれ始めたのを感じました。向こうからどんどん人が押し寄せてきて、MWSに吸い込まれていく感じ。既存メディアとネットとの競合を肌で感じた。いわゆるインターネットの本質を運営側として95年とかの段階で体験しちゃったんですよね。その経験はとても大きい。
遠藤 パソコン通信というのが日本におけるネットの主流だったのが、流れはインターネットに向かっていて、もっと大きな世界がある。それは強い。あと、そういうことに意識的であるのは、自分達がMacユーザっていうのも大きいかな(笑)
宮田 CGIが使えるようになって、BBSができて、それがフォーラムに発展するんだけど、それはMIPS内でそういう場があるのが健全であるという意識があったのかな?
道向 佐野さんの話題を、実生活の中で毎日誰かと話しているわけではないので、そういう集まれる場を、オフィシャルとか誰かにセットされたわけじゃなく、自分たちで持ったという感覚が良かったんだと思う。
今井 それって場としての信頼感をみんなが持てるかどうかって重要だよね。そういった信頼感を保つために相当努力したしね。
道向 だから、今のMWSだって、これはファンのサイトだっていう意識がもっともっと強く出ていてもいい。その一方で、MWSだけなんであんなにしっかりしたものが作れたの? という声はいろんなところから聞こえてきた。でも、MIPSの中には一人だってSMEの社員はいないわけで。
今井 これは声を大にして言っておきましょう。(マイクに近づいて)「MIPSの中には、佐野さんのビジネスに直接関わっているスタッフは一人もいませんから」(笑)
森本 あの当時、「MIPSに就職したいんですけど」って問い合わせ、あったもんねえ。
今野 MIPSってCPU作っている会社だと思われたり。
遠藤 moto.co.jpだから、モトローラだと勘違いしたり? まあ、でもNIFTYから派生したわけだから、BBSを作るというのは当然の流れだよね。
滝口 ホームパーティの中ですでに望まれていたし、WebにいけばNIFTYとはまた違った形のBBSシステムができるに違いないって意識もあった。
今井: でも、95年、96年というのはインターネットはまだそんなに一般的じゃなく、国内で見ればNIFTYのほうが圧倒的にユーザが多かったわけじゃないですか。インターネットが急激に広がったのはもっと後ですよね。iMacが出て、Windows 98が出たころかな?
遠藤 その直前の97年が大きいんじゃない? ポストペットが出てきた頃ね。
森本 丁度その頃にNTTがフレッツISDNを始めて、速度は遅いけどインターネット常時接続が一気に広がった。あれがみんながWebに深入りするきっかけ。
今井 97年か。その頃って凄い重要だよね。MWSでも初のライブストリーミング配信を実践したり、さまざまなネットイベントを開催したり。あとやっぱりBBSからフォーラムCafe Bohemiaに変わったのが大きい。
森本 蒸し返したくはないけど、Speak out!は発言トラブルで閉じちゃったしね。
今井 まあ、MWSの掲示板って全部、発言トラブルで閉じちゃっているという歴史があるわけですが(苦笑)。でも、閉じたあとは必ずビルドアップしているよね。
遠藤 Speak out!は、形式で見ればゲストブックに近い感じだけど、そんなのWebで実現すべきフォーラムの形じゃない!って意識が今野さんの中にあったんじゃない?
今野 Cafeのシステムは、作るんだったらこうしたいって意識はあった。あと、NIFTYのログブラウザとか、NetNewsブラウザとか、そういうお手本もあった。
遠藤 ほら、オレはCafe上でそのシステムのことをあーだこうだ言ってて、それでMIPSにピックアップされたわけだけど、やっぱり言うだけのシステムが出てきたっていうのは凄かった。他には全然なかったシステムだからね。
今井 一方で、Cafe Bohemia憲章を作ったりとか、コミュニティの場に対して一定のルールやマナーを作ろうって躍起になったよね。まあ、心ない発言との戦いの過程でもあったわけだけど。
道向 例えば誰かが「この曲いいよね」って素直に書いたら、そのあとで「何言ってるんだバカ」って悪意のコメントがあったりして。でもそんな議論をするために書き込んでいるわけじゃないから、そんなことで場の流れを止めてほしくないから、憲章のようなものを作ったりとかした。
今井 Cafeのフォーラムテーマも、たとえば「社会」や「テクノロジー」といった、佐野元春の音楽以外の話題も取り込める大きな場を作ろうってしていたじゃないですか。それって、インターネット自体に求められるテーマというのを、MWSのなかに素直に作っていったからなのかな。
遠藤 それもNIFTYを経験していたから、そういうテーマまでの器があるのが当たり前だし、こじれると罵詈雑言の水掛け論になることも散々経験しているから、同じことを繰り返しはしないって意識は強かったよね。
滝口 でも、みんな総じて優しかったよ。NetNewsなんかで質問したら「人に質問するときは…」とか「あなたが話題を切っているのを理解できないのですか?」なんて平気で言われたし。MWSは凄く紳士的だった。
今井 まあ、そうやって紆余曲折があったわけだけど、今後10年も考えて、MWSとコミュニティっていうのを改めて定義づけてみたいわけだけど、これからのコミュニティの形ってなんだろう?
遠藤 90年代後半から、たとえば2ちゃんねるが出てきたり、誰のWebページにも掲示板があったり。そうなってくるとオフィシャルな感じのするところに場がある理由ってどれくらいあるんだろうって思うよね。
今井 そう。Cafe Bohemiaの方法論ってすごく90年代的だったんですよね。そこからこぼれていく意識や書き込みが多くなっていくのを見ていて、これからの場っていうのは、変わっていくんだろうって予感はあった。今となっては、コミュニティは面じゃなく点のレベルで点在して、それが繋がっている。
遠藤 Blogなんかまさにそうだよね。Blog自体が人格になっているところにTrackBackされていて。
今井 だから、面としての掲示板は2ちゃんとかに任せればいいや、と。その後MWSは関心空間を使うわけだけれども。これはいわばテーマ毎に書き込んでいって、それに繋がりをもたせようという、点と点の繋がり的な発想ですよね。
宮田 あれはプロトタイプを佐野さんに見せたら、案の定気に入ってくれて。あれの最初の目標って、佐野ファンで百科事典を作ろうということだったのね。でもCafeが閉じた後で再開を心待ちにしていた人には、ちょっと違ったみたいで。でも今は場が分散していっているから、中央の場に書き込む目的も変わってきている。コミュニティについては、blogの普及などもあって、また新たな転換期が来るなのかな。



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